「戦後民主主義」。 またの名を「フェイク民主主義」。 そもそも民主主義ってやつは、もともとどうにも胡散臭い。フランス市民革命が植民地と住民を埒外にしたように、「民」とはごく一部の民でしかないのは自明である。それをお人好しにも「民主」なんだから国民一般が主権者であるかに錯覚し、かつそのように主張する人々がいる。かかる観点から現状のこのクニの有様を「民主主義の破壊」と叫んだりするわけである。 カクサクボーイは GI の大小男根をしゃぶりつつ、その能天気を嘲笑う。そして言う、ありのままのリアリズムはこの強弱随意の舌捌きにしかないんだよ、民主主義なんて妄想なんだよ、国家なんて幻なんだよ、いつまでそんな虚構によっかかってるの、いい加減にしなよ、と。 戦犯なるレッテル貼りは所詮戦勝国の都合でしかない。しかしA級戦犯であった岸信介、同類の児玉誉士夫・笹川良一は免罪され、この三人と文鮮明がつるんでつくったのが「国際勝共連合」「統一教会」であり、その背後には対ソ・対中の世界支配戦略への利用を目論む 大ボスC I A がいたのであった。 安倍銃撃死の真相は闇であろうが、少なくとも「戦後民主主義」の正体がそのことで浮彫りにされることにはなった。このクニを支配するものは何か?それはもちろん「民」では有り得ないし、また無能低劣の政治家でもあるまい。大資本?資本家?いやいやそんなもんじゃあるまいな。
「超」小説家 石月正広 私家版七冊目である
舞台は大政奉還時の江戸。
主人公は 瓦版屋で一旗揚げようという田舎者の仙吉と友蔵。
戊辰戦争あり、上野に陣取った彰義隊の壊滅あり。
逃亡した徳川慶喜あり、二股がけの勝海舟あり、西郷あり。
短篇ながら,何しろ歴史の節目だけでなく、江戸の人情・風情や民俗までも描き切ろう、というのである。
無謀だが、その意欲にまずは敬服。
眼を注ぐべきは、この小説家の妄想癖ではないか。
この場合、小説家・石月正広は仙吉・友蔵に成り切って、江戸の「今」にどっぷりと沈潜してしまっているのだ。
仙吉・友蔵は、小説家の多面性の人格表現でもあるだろう。
ともあれ、こうした良質な読物が無料で我がものとできるのは僥倖というほかない。
読みやすい文章でした。内容も、続きが気になるような楽しい作品です。「深夜特急」のような読後感で、おススメです!
御立派
なにこれ
三浦さん
コメント有難うございました。三浦さんの貴重な体験記が出来ましたら、是非ともロマンサーを活用して出版してくださるようお願いします。 澤村
澤村さんの海外出張報告、楽しく読ませてもらいました。海外出張報告を読んで、私も最初の米国出張のことを思い起こしました。入社8年目に、何故か急に米国に1か月出張に行って来なさいと言われます。何処へ行こうと構わないが自分で計画を立てて出張報告を書けと云う事でした。一つだけ課題があって、アメリカ運輸省の鉄道技師に列車無線の講義をしなさいと云う事のみ。自分で連絡を取って、日時を決めろと言われたのみ。英語もたどたどしい自分にとって、すごい出張を体験しました。いつかこの体験談をまとめてみたいと思った次第です。
この妄想は楽しそうです。
加藤さんがリフロー版を作ってくださって、嬉しいです。リフロー版だと、文字の拡大縮小だけでなく、PCで表示をすると、[T]キーを押すと音声でも読むことができます。まだまだふつつかな音声ですが、デジタルだからこその機能も見逃せません。
16歳の子供たちが書いた掌編が読めるなんて、すごいです。各作品の後ろに作者コメントがついていて、伏線を意識したと書いている作者が多くて驚きました。
最初の部分を読みました。とかく私も自分のやってきたことを押し付けがちです。多様性の意味をもう一度、考え直したいなと思いました。
加藤忠一さん、もともとある絵力に加えて、記憶力、調査力そして文章力が素晴らしい。すごいねとしか言いようがない。
僕のブログへのコメントもありがとう。
加藤忠一さん、やりましたね! 拍手です。文末の参考資料へのリンクなども通っていて素晴らしいです。画像はキャプション付きを利用されたんでしょうか? 一つ気になったのは目次です。見出しで設定したナンバーと題名との間のスペースに多少ばらつきが見られます。
電子出版が既存の書籍と、一番違うところは何か? ボイジャーという小さな会社が知恵を絞ってきた道がわかると思いました。
こういう戦後があったことを知らずに生きてきた。なんとなく親の世代の言動からパンパンガールという存在を蔑んで生きてきた。知らないってことは恐ろしい。兵士になったら人はどんなことをするのか?孤児になったらどんなことをして生きていかねばならないのか。思いもはせずに生きてきた。それこそが蔑むべきことなのに気づきもしないで。
「戦後民主主義」。
またの名を「フェイク民主主義」。
そもそも民主主義ってやつは、もともとどうにも胡散臭い。フランス市民革命が植民地と住民を埒外にしたように、「民」とはごく一部の民でしかないのは自明である。それをお人好しにも「民主」なんだから国民一般が主権者であるかに錯覚し、かつそのように主張する人々がいる。かかる観点から現状のこのクニの有様を「民主主義の破壊」と叫んだりするわけである。
カクサクボーイは GI の大小男根をしゃぶりつつ、その能天気を嘲笑う。そして言う、ありのままのリアリズムはこの強弱随意の舌捌きにしかないんだよ、民主主義なんて妄想なんだよ、国家なんて幻なんだよ、いつまでそんな虚構によっかかってるの、いい加減にしなよ、と。
戦犯なるレッテル貼りは所詮戦勝国の都合でしかない。しかしA級戦犯であった岸信介、同類の児玉誉士夫・笹川良一は免罪され、この三人と文鮮明がつるんでつくったのが「国際勝共連合」「統一教会」であり、その背後には対ソ・対中の世界支配戦略への利用を目論む 大ボスC I A
がいたのであった。
安倍銃撃死の真相は闇であろうが、少なくとも「戦後民主主義」の正体がそのことで浮彫りにされることにはなった。このクニを支配するものは何か?それはもちろん「民」では有り得ないし、また無能低劣の政治家でもあるまい。大資本?資本家?いやいやそんなもんじゃあるまいな。
主人公の「ヨシ坊」は13歳だったが、いまでも彼は13歳のままわれわれの眼前にいる。そして愚かなる大人どもを75年前同様に嘲笑う。「民主主義」なるものを笑い飛ばす。
真実はコックサッカーに 聞け
熊本新聞最新の記事でハンセン病の患者たちに「治療」渡渉して強制的に劇薬を飲ませたり静脈注射したりして、731の軍医たちがひどい人体実験をして9人は確実にそのせいで直後にショック死したという記事が載っていました。京大医学部はそこに教授を送り込み実験結果を利用したとのことです。酷い話だと思いました。同じことをハルピンでももっと大規模に悪魔的に行われていたわけです。それが今の医療に応用されているなどと保健の教科書にはこれっぽっちも載っていません。どころか、悪魔たちは口を拭って今もい者ヅラを続けています。隊長は最期にキリスト教信者になったとか。すでに人間じゃないものを神がどうやって許すのか。
Canonicalは、そちらには注力してないみたいですね。モバイルよりもサーバインフラ。microK8sとか、そちらに注力している印象です。
今はどうなってるのだろう?
戦争というものが赤裸々にした人の醜さ美しさ弱さおぞましさとたくましさ。いろんなものがごっちゃになってわーっと凄いインパクトでひきこまれる。
近藤勇の墓所は調布