カクサクボーイ

カクサクボーイ

タイトル

カクサクボーイ

ジャンル

書籍/小説・文学

著者

石月正広

公開日

2022年10月30日

更新日

2024年05月17日

作品紹介

「カクサクボーイ」という言葉を知っている日本人が、令和のこの時代にどれほどいるだろうか? 「シューシャインボーイ」や「パンパンガール」は覚えていても、「カクサクボーイ」は完璧に日本人の記憶から抹殺された。……この小説は、敗戦後間もない日本の、そんな少年たちを主人公にした物語です。

作者からの言葉

厭なことから目を背けていては、何時まで経ってもあの太平洋戦争を総括することはできません。都合の良いことだけを記憶に残し、都合の悪いことはなかったことにしてしまう。──これでは戦争の反省はできない。またいつか同じ過ちを犯すことになってしまう。だからぼくは小説で、国が隠蔽したものを暴露します。


コメント(7件)

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  1. 石月正広

    小品なれど傑作✨✌
    題名の「カクサクボーイ」は、春を売る少年のこと。
    「近代を問う三部作」シリーズ、「キッズカンパニー」に併載されていたものだが、独り立ちして無料で読めるようになった。僥倖。タップするだけで読める。
    敗戦1年目の秋の東京。
    躄り車に載る傷痍軍人がいた。銃弾の跡の残る廃墟のような町で、人々は地を這うように生きていた。親を亡くした孤児たちが、浮浪児と呼ばれて、溢れていた。
    その浮浪児たちを主たる登場人物として、この小説は展開していく。。
    美貌で賢い、子どもながら胆力も備えた一人の少年が、浮浪児たちを束ね、混乱の坩堝を生き抜いて行く。
    少年は子どもを脱ぎ捨て、艶やかな振袖を纏った。おかっぱ頭を昂然と上げて、黒ぽっくりを鳴らして闇市を歩く。自分の価値観だけで生きる。
    石月小説の醍醐味はその描写力で、米兵相手のカクサクボーイの商売のシーンですら、夕焼け色の快楽の匂いが漂って来る。餓えは生きることそのもので、私たちは赤裸々な人間の姿を見せつけられるけれど、生き延びる力として私たちに還っても来る。
    少年たちへの愛、時代への透徹した眼差し。生き抜くことへの圧倒的肯定。それが、「美しい物語だった」という読後感をくれる。
    同じく「生き抜かねばならない」今、私たちに力をくれる小説だと思う。
    冬本番の1日の読書にお薦め。

    • 石月正広

      投稿者は石月正広の名前になってしまいましたが、これはぼくのFBFのナツコさんが書かれた感想文です。代理でぼくが投稿したので、こんな形になってしまいました。

  2. 小川かをり

    戦争というものが赤裸々にした人の醜さ美しさ弱さおぞましさとたくましさ。いろんなものがごっちゃになってわーっと凄いインパクトでひきこまれる。

  3. 小早川 喬

    「戦後民主主義」。
    またの名を「フェイク民主主義」。
    そもそも民主主義ってやつは、もともとどうにも胡散臭い。フランス市民革命が植民地と住民を埒外にしたように、「民」とはごく一部の民でしかないのは自明である。それをお人好しにも「民主」なんだから国民一般が主権者であるかに錯覚し、かつそのように主張する人々がいる。かかる観点から現状のこのクニの有様を「民主主義の破壊」と叫んだりするわけである。
    カクサクボーイは GI の大小男根をしゃぶりつつ、その能天気を嘲笑う。そして言う、ありのままのリアリズムはこの強弱随意の舌捌きにしかないんだよ、民主主義なんて妄想なんだよ、国家なんて幻なんだよ、いつまでそんな虚構によっかかってるの、いい加減にしなよ、と。
    戦犯なるレッテル貼りは所詮戦勝国の都合でしかない。しかしA級戦犯であった岸信介、同類の児玉誉士夫・笹川良一は免罪され、この三人と文鮮明がつるんでつくったのが「国際勝共連合」「統一教会」であり、その背後には対ソ・対中の世界支配戦略への利用を目論む 大ボスC I A
    がいたのであった。
    安倍銃撃死の真相は闇であろうが、少なくとも「戦後民主主義」の正体がそのことで浮彫りにされることにはなった。このクニを支配するものは何か?それはもちろん「民」では有り得ないし、また無能低劣の政治家でもあるまい。大資本?資本家?いやいやそんなもんじゃあるまいな。

    主人公の「ヨシ坊」は13歳だったが、いまでも彼は13歳のままわれわれの眼前にいる。そして愚かなる大人どもを75年前同様に嘲笑う。「民主主義」なるものを笑い飛ばす。

    真実はコックサッカーに 聞け

  4. oka...

    こういう戦後があったことを知らずに生きてきた。なんとなく親の世代の言動からパンパンガールという存在を蔑んで生きてきた。知らないってことは恐ろしい。兵士になったら人はどんなことをするのか?孤児になったらどんなことをして生きていかねばならないのか。思いもはせずに生きてきた。それこそが蔑むべきことなのに気づきもしないで。

  5. ナツコ

    再読したので備忘録として、再度記しました。この文章を読んで、この小説を読んでみようかと思う人がいたら好いなと思う。

    これは敗戦後の混乱只中の東京を舞台とした、比較的短い小説だけれど、その中味は濃い。
    先ずはキャラクターの設定及びその描写で、度肝を抜く。冒頭登場する躄り車の元傷病兵然り、主人公の振袖の美少年然り。そのどちらもが、冴え返っている。
    初手から、読み手は壁際まで圧し込まれて立ち尽くすという様相である。しかし、気を奮って読み進める。これは、「読書」だろうか?

    「秋の次が夏だったらなどと、詮無いこと」。
    破壊された戦後の街は秋を迎え、「目の前の空き地には千草が野放図に伸び、猩々蜻蛉が絣模様を描いている」。敗戦の夏を抱え込んだまま、秋を迎えている」。

    これはそんな街で、米兵を相手にcocksucker(カクサク)を生業として、生き延びようとする浮浪児グループを主人公とした、敗戦直後の日本の裸の物語なのだ。

    ヨシ坊という、振袖姿の美少年をリーダーとするこのカクサクグループは、少しずつ仲間が増えて行く。それぞれが、暗い記憶を秘めている。
    親を亡くした悲しみだけではなく、「敗戦のショックで脳と心が破壊された」大人たちの「無意味で卑怯で愚劣」な虐待は、最も弱い子どもすら例外ではなく、それどころか、「弱者に向けられる恩讐は、狂った人間のなせるものだ」と作者は断じる。
    彼らは其処を生き抜いてきた少年たちであり、社会福祉現場の実情を躰に刻んで来た少年たちだった。自分たちだけが、頼りなのだった。カクサクグループの新入り瀬川文治は、その福祉施設で性暴力を受けて来た少年だった。
    カクサクは非力な少年たちにとって、割のいい仕事だったのである。瀬川文治にとっては、これまでタダでやらされていたことが、「金になる」のであった。
    ウエットな匂いはない。米兵相手のビジネスである。少なくとも、彼らは腹を括って仕事に励んだ。すべて生き抜くためである。
    私たち読者も、ハンパな倫理や好悪を乗り越えねば、読み進めることは難しいだろう。

    小説は、カクサクグループの新入りたちの物語を綴って行く。タケ君は、有料焚き火、温もり屋でヨシ坊に助けられた10才の少年。タケ君は、一旦は助けてくれたパンパンガールの愛子に性奉仕をさせられていた。

    一般人と言えば、どうだったのか?
    皇居事件が、生々しく、見事に描写される。昭和二十一年五月十二日、午後四時すぎと記される。
    デモ隊は皇居に乗り込み、我々は餓えているという、「人民の声」要求文を読み上げ宮中の隠匿米の開放を要求した。さらに宮内省職員用台所に乱入し、大盥三杯ぶんの飯に叢がり、奪い喰らった。大したものである。拍手。

    さらに、敗戦後の宝籤である。インフレ防止を名目に、政府は宝籤を売り出した。餓えた国民は、一攫千金を狙い叢がる。寺銭5割の博打に夢を掛けて、さらに貧しさに喘ぐこととなる。
    宝籤に盛り上がる大人たちを見やって、ヨシ坊は言う。

    終戦間際に発売された、戦費調達のための宝籤があった。
    「八月の二十五日に抽選をしたって言うけれど、誰か当たったって人聞いたことがある?射幸心を愛国心に置き換えた勝ち札、あれってさぁ戦争の親玉たちの逃亡資金調達のためのものだったんじゃァないのかなァ」。

    小説は言う。「国は、それまでだって軍事に必要なものは国民から無償で取り上げてきた。農民から鋤、鍬、馬まで取り上げるという愚行をしてきた。それをしたら、農民は田畑を耕すことができない。そんな単純な図式が軍人には判らない。すでに日本国内には資源も資材もなにめないというのに、どうして現金が必要であったのか」。その通りだ。噛み締めよう、我ら、今こそ。

    カクサクボーイたちを始めとする浮浪児たちが、敗戦後の混乱を生き抜く物語は、この後の「キッズカンパニー」に続いている。

    最後に、作者の特筆すべき詩心に言及したい。
    単純に表現力や描写力ではない。この小説では、迷子になった詩の言葉たちが、あちらこちらに不意に現れる。
    この作家の持ち味であるが、読者にはサプライズの贈り物のように、都度心が震える。

    海酸漿(うみほおずき)胎の言の葉物語る

    雷鳴や腸(はらわた)も詩と生りにけり

  6. みうら

    小学生の頃、駅前やガード下には当たり前のように物乞いや乞食が居ました。
    真っ白な服を着た躄り車の傷痍軍人は一際目を惹いて、手にしたアコーディオンからの調べはもの哀しく感じたものです。
    前を通る時には何故か後ろめたさまで感じたり…
    空き地には掘っ立て小屋を作って焼け出された老人が住み着き、時折そこへ「放っておけない…」と母が食べ物を運んでました。
    そんな風景は理解を超えて小さな心と目に刻まれ、この作品で映画を観るように甦りました。社会の成り立ちのどうしようもなさ、人が生きることの逞しさと哀しみとともに。
    縁あって電子書籍を初めて読みました、開放をありがとうごさいます。