
荒野にぽつりたった一人……誰もいない砂漠のような土地に自分が佇んでいる光景を思い浮かべるなら、きっとあなたはデジタル出版をやろうとしている人ではないでしょうか。「今はきついかもしれないけれど、この中でやっていこうじゃないか」と、あなたは一篇の作品に挑んだのではないですか? もう立派なロンサム・カウボーイです。志を同じくするたくさんの先輩が出てきます。
映画『パリ、テキサス』のハリー・ディーン・スタントンも
荒野に立つロンサム・カウボーイとして紹介されています。
荒野にぽつりたった一人……誰もいない砂漠のような土地に自分が佇んでいる光景を思い浮かべるなら、きっとあなたはデジタル出版をやろうとしている人ではないでしょうか。「今はきついかもしれないけれど、この中でやっていこうじゃないか」と、あなたは一篇の作品に挑んだのではないですか? もう立派なロンサム・カウボーイです。志を同じくするたくさんの先輩が出てきます。
映画『パリ、テキサス』のハリー・ディーン・スタントンも
荒野に立つロンサム・カウボーイとして紹介されています。
マンガ翻訳コンテストが間もなく締め切られます。我こそはと思う方は翻訳をお急ぎください。
このコンテストは、日本のマンガを世界の読者に届ける、マンガ翻訳家を志望する人々にプロデビューのきっかけを作ろうというもの。主催は、デジタルコミックの普及を推進することを目的とする団体であるデジタルコミック協議会と文化庁です。
やってみたいけれど、マンガを翻訳をするということはどんなことなのか。難しそうです。まずは、審査員のお一人である翻訳家マット・アルトさんの講演をご覧ください。
BL小説家、コミックの原作をへて、セルフパブリシングに活動拠点を移している檜原まり子さん(Twiter @enjugroup)が、中島梓さんの名著『小説道場』の読者であったことがわかりました! プロの作家にとって『小説道場』とはどんな作品だったのでしょうか。
「ダイジュネ」「ショウジュネ」という響きを知っている人は相当なバーサン(もしくは希にジーサン)ではないかと思うが、わたしはまさに「JUNE」という言葉が生まれた時代に青春を送った、と言っておこう。もちろんこの本を手に取る人は、「JUNE」の意味をご存じだろうが、要するに「男性同士の愛を扱った」コンテンツ(マンガ・小説)のことだ。はい、ご想像通り、原点はフランスの作家ジャン・ジュネであります。
10月14日、インターネットの電子図書館、青空文庫(http
◯基調講演:青空文庫の20年間について
10月14日に『それでは小説にならない』の出版を記念して、著者の今岡清さんがトークイベント「SFなんでも箱 #48」にメインゲストとして参加しました。
「SFなんでも箱」は、池澤春菜さん(声優)と堺三保さん(評論家)のお二人が毎回異なるゲストを招き、2時間、SFについて語り合うイベントです。来場の方々はみなさんSF愛好家で、どんなに実名を隠して話しても半数以上の方にはバレてしまいます。
ということで、どれほど怖いところかと思いきや、堺さんは学生のころから今岡さんとお知り合いだったとのことで、イベントは終始和気あいあいとした雰囲気でした。
左:堺三保さん、中央:今岡清さん、右:池澤春菜さん
「SFなんでも箱」は新宿 Live Wire HIGH VOLTAGE CAFE で月1回行われているSFをテーマとした約2時間のトーク
イベントで語られた内容をふたつほどご紹介しましょう。
11月18日東京・渋谷でセルフとデジタルパブリッシングをテーマにしたトークイベント「それでも小説を出したい会議」の開催が決定しました。きっかけとなったのは早川書房の「S-Fマガジン」元編集長 今岡清氏講演録『それでは小説にならない』の刊行でした。
登壇は今岡清氏、元エンタメ本の編集者・梶原秀夫氏、現役漫画作家&原作者・北沢未也氏の3人です。
ぼくらの時代の本とは形のある本だ。
ぼくらの時代の本とは形のない本だ。デジタル上に漂い、
ぼくらの時代の本とはその両方を行き来する本だ。
こう書いたのは、『ぼくらの時代の本』のクレイグ・モドだ。
作詞家として一世を風靡した阿久悠と歌謡曲の時代をあらためて見つめる連載の企画がRomancer Cafeで始まっている。すでに連載11回目が公開となっている。
https://romancer.voyager.co.jp/cafe/
過ぎ去ったことではあるが、振り返るとそこに常に音楽が流れていたことにハッとさせられる。自らその音楽を引き出すことはなかなかできないのだが、どこからか流れてくる音楽を耳にすると、自分がいた情景がぼんやりと浮かんでくる。賑やかだった商店街を歩いて通学していた頃、臨海学校へ行く船が岸壁を離れる時に流れていた歌……どこにでもしっかりと音楽は息づいていた。
まるで関係もなさそうな情景を引っ張り出し、そこにあなたの思い浮かぶ音楽を聴いてもらいたい。そう思って、時代や世相の何気ない写真を、この連載につけていこうと計画した。連載11回目の『1969年と阿久悠時代の夜明け』から、思い切ってそうした写真を利用した。
1997年、わずか数人で始まった青空文庫は、インターネット上に本を蓄積し、これを10年、20年あるいはそれ以上に渡って残していこうとする意思のもとに、電子ファイルを作り続け、そして今年その20周年を迎えました。
「タダで本が読める」
青空文庫の意義はそれだけでしょうか?
「モツレク」という言葉をご存知でしょうか。モーツァルトのレクイエム、その略称です。クラシックでは、ベートーベン交響曲第九を「だいく」と言ったりするような略称があります。この文を書いている私も高校でオーケストラ部にいたことがあり、懐かしい響きです。
https://www.youtube.com/watch?v=kAu5wHdQ7-8
『モツレク〈学園〉』という本をご紹介します。
音楽に青春をかけた若者たちを描いた、みずみずしくも物悲しい私小説。「僕」と「君」の日々がどのような終わりを迎えるのか、なぜ数ある曲の中から「モツレク」が選ばれたのか。結末まで読んで、その意味を知り、私は胸をうたれました。
この物語の中で、少年たちは東京文化会館の4階に集まり、ビクターの視聴室を借りて、お気に入りのレコードを次々にかけます。フルトベングラー(フルベン)。「歓喜の歌」こと、ベートーベン交響曲第九(だいく)。クライマックスの「Vor Gott(神の前へ)」というフレーズは、私にとっても青春の思い出です。合唱コンクールで、クラス全員で、喉の奥から振り絞るようにして「フォール、ゴーット……」と絶叫していた記憶が、耳と喉に、よみがえります。
https://www.youtube.com/watch?v=4fK9BlAgbP4
「十代」
これが人生を方向づけ、決定づける。十代に「なにか」がなかった人間は、一生「なにか」を掴まない。
(「モツレク〈学園〉」 3.Dias irae 「闘鶏」)
自分は、十代で何をしていたのだろう。今の子どもたちは、何をしているのだろう。サッカー? バスケ? 漫画作り? それとも……そういえば、自分は、家でゲームばかりやっていたっけ。
学園という楽園。クラシックという楽園。そして、青春という楽園。しかしそれは、永遠ではない。
青春は、二度と戻ってきません。でも、青春を振り返ることはできます。そして何歳だろうと、心に「ガーッとくる」感動があるなら、きっとそれが青春です。
シャーロキアン(『シャーロック・ホームズ』の熱狂的なファン)と呼ばれる人たちがいます。彼らはシャーロック・ホームズを実在の人物とみなし、物語の世界にひたり、研究を行ったりします。
シャーロキアンは少々特殊な事例かもしれませんが、ミステリマニアには似たような気質があるようです。例えば内田康夫氏が生み出した名探偵・浅見光彦のファンも同様でアサミストと呼ばれます(この文章を書いている私も実はアサミストです)。
では、日本における名探偵といえば誰を思い浮かべるでしょうか?
知名度で言えば、明智小五郎と金田一耕助が双璧でしょう。漫画の世界にも目を向けると、奇しくも明智小五郎の著者・江戸川乱歩+コナン・ドイルから命名された江戸川コナン、金田一耕助の孫設定の金田一一の知名度も高いですね。
小説の世界では、次いで浅見光彦、さてその次は?
荒れ野の40年 ワイツゼッカー連邦大統領演説全文
リヒャルト・カール・フォン・ワイツゼッカー
※写真はWikipedia(独)より(Bundesarchiv, Bild 146-1991-039-11 / CC-BY-SA 3.0)
File:Bundesarchiv Bild 146-1991-039-11, Richard v. Weizsäcker.jpg
原爆投下、そして終戦の8月15日。暑い日ざしと蝉の鳴き声とともに、忘れられない記憶がよみがえる季節です。
「ヒロシマ・ナガサキのまえに―オッペンハイマーと原子爆弾―」かつてCD-ROM製品として販売していた作品、現在はEPUBという形式の電子本として、ボイジャーのBinB storeはじめ各書店で販売中です。本書の訳者である青空文庫創設者、故・富田倫生さんのメッセージをお伝えします。
原爆をつくった側がいれば、太平洋をはさんだこちらには、落とされた者がいる。この作品の日本語化を手伝った直後、 私は青空文庫というテキスト・アーカイブにかかわった。そこでは、広島で被爆した原民喜と峠三吉、長崎で惨禍にみまわれた放射線医学者、永井隆の作品をひらくことができる。
はじめての原爆実験がおこわれた場所は、トリニティ(三位一体)と名づけられた。本作のテキストによる復刊によって、ネットワークには、ヒロシマ、ナガサキにくわえて、トリニティをめぐる証言がそろうことになった。
ヒロシマ・ナガサキのまえに―オッペンハイマーと原子爆弾―
ジョン・エルス/訳 富田晶子・富田倫生
富田倫生さんの翻訳メモを中心とした無料版「ヒロシマ・ナガサキのまえに ― マンハッタン計画への道」も用意しています。2017年版では「目標都市選定資料」の章を追加しました。
すでに第二次大戦経験者は高齢となり、ヒロシマナガサキも過去の歴史となりつつあります。平成生まれの中高生にとってそれは、教科書の記述以上のものであり得るのでしょうか。
戦後、少なくとも1970年代までは「原子力の平和利用」はバラ色の未来を感じさせていました。その頃の漫画、アニメに登場するロボットたちに原子炉が搭載されていた時代です。しかし1979年のスリーマイル、1986年のチェルノブイリ、そういった原子力発電所の事故が風向きを変えました。
しかし我々は、はたしてどれだけ「核」について知っているのでしょうか?
今年Romancer Storeは、「核」に関する著作を、2冊得ました。
1冊は、かつて長崎の被爆少年だった天才科学者ジョージ・シラトリを中心人物とする、国家権力の横暴への抗議をテーマとする科学小説『オペ・おかめ』。
薄れゆく原爆の悲劇の記憶を、『オペ・おかめ』で克明に記された、被爆者たちの痛みと悲しみ、世間や国家の無理解や無関心の記録は、断固たる抗議のメッセージとともに鮮明に甦らせます。この小説によって、私たちは、核のもたらす痛みを感じます。
オペ・おかめ
藤永茂
もう1冊は、米国原子力研究の第一人者による、放射線・原子力事故を徹底的に調査しつくした大著『アトミックアクシデント』です。
では、核とは、どんなものか。具体的にどのような歴史があり、それは人類にとってどのような存在であるのか。それを深く知りたい人に『アトミックアクシデント』は門戸を開いています。この本の特徴は、その分量が示す圧倒的な情報量、そして肯定と否定のどちらにも偏らず、原子力の是非を、あくまで読者の頭で判断させる冷静で科学的な態度です。この論文で、私たちは核そのものを知ることができます。
アトミックアクシデント
ジェームズ・マハフィー/訳 百島祐貴
そして過去の歴史は、不意に今現在の私たちへ、渋谷の路上でスマホを弄って歩く若者たちへ繋がります。『極端に短いインターネットの歴史』を読むと、原爆とインターネットの開発にいかなる由来があり、両者がいかに密接な関連があるか、いかにして「死のゲームから、インターネットが生まれて」きたのかがわかります。
極端に短いインターネットの歴史
浜野保樹
(無料)
「巨大科学技術が与えた未来」という項には、以下のような記述があります。
新兵器の破壊力を正確に知るには、まだ空襲を受けていない無傷の地域で、一〇〇万以上の被験者が住んでいるところが最適だった。フォン・ノイマンは日本のどこに原爆を投下したからよいかについて、京都、広島、横浜、小倉の順で将軍に助言している。京都はその条件にかなった理想的な目標となりえたが、街自体が貴重な文化遺産であるというヘンリー・L・スティムソン陸軍長官の個人的判断で外されることになった。
八月六日広島、八月九日長崎に、原子爆弾は投下され、一瞬の内に二〇万人近くの生命を奪った。そして、八月一五日、日本は無条件降伏を受け入れた。原爆投下の前から日本は終戦工作の道を探っていたが、一般のアメリカ国民は知る由もなく、原爆が戦争を終結させたという印象を持った。言い換えれば、科学技術が戦争を勝利に導いたのであった。科学はいかなることも実現可能であり、科学には不可能はなく、科学の未来は果てしがないというイメージが形成された。科学者は、新しい時代の英雄となった。
今も昔も、人は核について何も知らない。しかし、知るための手段、知っている証人は、訪問者を静かに待っている。戦争と平和。核とインターネット。私たちの何気ない日常の起源とは何か、私たちが無自覚に拠って立っているものは何なのでしょう。
2007年8月1日、作詞家阿久悠は亡くなりました。今日は命日、ちょうど10年が経ちます。まさにこの時期に、私たちボイジャーはデジタル発の連載を開始しました。題して『阿久悠と歌謡曲の時代』。佐藤 剛が書き、好評に連載は回を重ねています(8月4日に第7回が公開予定)。
作詞家として大きな足跡を残し、阿久悠はこの世を去って行きました。常に時代に生きる人の心の欠落感をすくいとり、吐き出すように叩きつけてみせたのです。コンクリートの壁を素手で打つ無力感、跳ね返る音さえも鈍く打ち消される孤立、彼は存分に知っていたのでしょう。「朝まで待てない」「懺悔の値打ちもない」「どうにも止まらない」……この、ない、ない、ない、だけが妙にいつまでも心に響いてきます。誰でも、それは「ない」からはじまった……大事なことは「ない」を知っていることです。「ない」を忘れないことです。何かに立ち向かおうとするとき必ず自分が見つめなければならない一切の無を引き受けて、みんな出て行くものです。だったら今、阿久悠を語りながらこれを届けるのは、デジタル出版に向かい合うあなたへのささやかな応援歌じゃないでしょうか。
映画『ボンジュール、アン』が公開中です。監督のエレノア・
▼公式HP
2017年7月7日〜
グランフロント大阪北館で、
2017年7月23日(日)まで開催中
金沢工業大学所有の24万枚のコレクションから抜粋した5,
2017年6月28日(水)、モバイルラーニングコンソシアム(
このグランプリは大学・大学院・
こう言ってピンと来る人はいるだろうか? そう、甲斐バンドのヒット曲。では、でいごの花が咲き 風を呼び嵐が来た……そう聞いてフムと頷く人はいるだろうか? これは、宮沢和史のTHE BOOMの大ヒット曲、「島唄」だ。プロデューサーは二曲とも佐藤剛さん。実はこの人、佐藤剛さんがRomancer Caféで連載を始めることになった。なに、なに、Romancer Caféだァ? 連載だァ? そのご質問はごもっとも、徐々にお話し申し上げるとして、佐藤剛さんの代表的著作は、『上を向いて歩こう』(岩波書店)。あのアニメで有名なジブリが発行している『熱風』で連載された作品でもある。『黄昏のビギンの物語』(小学館)。つい先だっての6月14日に発売になった『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」』(文藝春秋)。音楽関係で意欲的な作品を次々と送り出している。その佐藤剛さんが、今度はRomancerに書き下ろしを連載で執筆されることになりました。
題して『それは「ない」からはじまった――阿久悠と歌謡曲の時代』。連載なのでどこまでいくか分からない。少なくとも100回や200回は下らないだろう。すでに大部な原稿をボイジャーは手にしているのです。
https://romancer.voyager.co.jp/cafe
第65回日本エッセイスト・クラブ賞に、『文字を作る仕事』(鳥
受賞決定時、担当編集者の方がTwitterでつぶやきました。
https://twitter.com/noritakasaito/status/869840918689357826