佐藤 剛さんを偲んで 〝それは「ない」からはじまった〟

6月20日、佐藤 剛は71歳の生涯を閉じた。彼と共に一緒に仕事をした思い出をここに記し、心からの哀悼の意を伝えたいと思う。
 

2018年6月21日撮影。ボイジャーオフィス・アンドアにて。

1998年のことだった。販売店を飛ばして読者と直接向かい合おう。そう考えてウェブ上に直販サイトをつくった。大枚のお金をつぎ込み将来的には、商品の購入だけではなく、バージョンアップ、新作などの関連宣伝情報、イベント、コミュニティ情報交換サービス等をカバーすることを想定した。それだけではなく、新しい作品、新しい作家と直結した出版システムが稼働することを考えていた。ところが蓋を開けてみると、まるで注文が来なかった。


 
自分たちは必死で取り組んでいるかもしれない、しかし世間では何に取り組んでいるのか、まるで理解されていなかった。そもそもあの当時、ウェブ上で決済し何かを買う……それもシャツだの靴だのという確かな、具体的な姿形を手に入れるというのではなく、モバイル端末も普及していない時代のデジタル出版物をよろこんで買う人はいなかった。途方に暮れていたある日、ファイブ・ディーという会社から連絡が入った。音楽アーティストのプロデュースやマネージメントをおこなう会社だ。どうしてまた音楽関係の会社が? 最初はその理由がはっきり飲み込めないでいた。
 
当時、ファイブ・ディーには人気アーティストがいた。宮沢和史のTHE BOOM、小野リサ、中村一義など。これらアーティストは、ライブのために盛んに全国を回る。会場でTシャツやタオルなどアーティストに絡むグッズやCDを会場で販売するのだが、こうした商品をファンクラブや一般の人たちへ直接届けたい。これが電話の目的だった。私たちは来るべきデジタル出版・流通の仕組みを構築してきた。それが今、まるで関係のない音楽ライブのグッズ配送に利用されようとしている。よろこんでいいのか、正直とても複雑な気持ちだった。グッズは会場で買うのでは遅い。ファンは当日、そのTシャツを着て会場へ行きたいのだ。それがファンというものだ。それには手数料の少ない、信用の置ける仕組みが必要になる。あなたたちのウェブサイトはかなり「お硬い」ようなので、とりあえず問い合わせてみたのです、と。おいおい、売れないで困っていたらライブグッズの販売かよ。とはいうものの、売上に結びつけたい気持ちはやまやまである。いさぎよく「やらせてください」と返事することになった。
 
驚いたことに、はじめてすぐウェブ販売システムの売上は急上昇した。毎月何百万円、特別なライブだったりすれば一千万円にまで届く勢いだった。音楽ファンの力をイヤというほど見せつけられた。もちろん、手数料が低いことで指名を受けたわけだから、こちらの実入りがそんなにあったわけではない。ともあれ私たちは生き延びることができた。
 
このとき私はファイブ・ディーを訪ね、代表の佐藤 剛に会った。本来なら見向きもしない間柄である二人が、こうして出会ったことになる。そして、10年ほどが経過して、二人は思いがけない仕方で再会をする。ちょうど、佐藤 剛 著『上を向いて歩こう』という本が岩波書店から出版されたころだった。永六輔、中村八大、坂本九を中心に、当時の音楽状況のなかでどのように歌が生まれていくのかを追求した力作だった。この記録は、スタジオジブリの雑誌『熱風』で長期にわたって連載され、一冊の本にまとめられたものだった。佐藤は作家として、私はデジタル出版のプロデューサとしてそこにいた。これを機会に、二人の話はごく自然に、デジタルが出版という世界で何をやっていくべきか、ということへ向いていった。デジタルは簡単なもの、使い古しのもの、読み捨てられて当たり前のもの……そういう世界に安住しすぎてやしないか。歯を食いしばっても読むべきものだってある。佐藤 剛は自分が必死に書いている作品について私に語った。ある出版社で上梓することになっていたのだが、最近になって企画を引き継ぐことが容易ではない状況にあった。
 
数日後、原稿が私の手元に送られてきた。『阿久悠と歌謡曲の時代』と題された大部の原稿だった。まず冒頭で、阿久悠のデビュー曲となったザ・モップスの「朝まで待てない」から、和田アキ子「天使になれない」、北原ミレイ「ざんげの値打ちもない」、大信田礼子「女はそれをがまんできない」、森田健作「友達よ泣くんじゃない」、山本リンダ「どうにもとまらない」など、歌詞に「ない」を持つ歌が非常に目につくと指摘し、当時の社会に「ない」という語の共振する空気があったのではないか、と述べる。
 
すべては「ない」からはじまる。私たちは「ない」から歩いていかなければならない。みんな一緒だろうと。こうして2017年7月、私たちのサイトで『阿久悠と歌謡曲の時代』の連載ははじまった。連載は四六回で終了し、一つの区切りがついた段階になっている。連載に取り上げられたすべての楽曲やライブ記録、公開映像などは本文とリンクして飛ぶことができる。歌詞は本文を読みながら明示される手配を施している。登場するアーティストについてはウィキペディア(Wikipedia)や関連する研究など、詳細な情報に簡単に接続できる。当然、引用された書籍や関連書をネット書店で買うこともできる。
 

連載当時のサイトの様子

プロジェクトにかかわる作家もスタッフも、全員が「ない」を当然の前提として受け入れている。「ない」からはじまる不断の工夫を繰りかえす訓練が、やがては既成の「あるべき」秩序への安住を乗り越えてしていくことになるだろう。ただし、そうはいっても、私たちが進むべき道を正確に見通す高みに立っているわけではない。冷静に把握しているわけでもない。這いつくばって、もみくちゃにされながら、おそらくは目先の損得に動かされて道を選択している。
 
人と人とのかかわりあいの長い時間のなかから一人の作家とめぐりあう話をしてみたのは、目先の損得から離れていく心をどこまでも勇気づけたい自分がそこにあったからだ。
 
 

ボイジャー取締役 萩野正昭