メディアを背負った〝本〟

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本日、片岡義男.comで、こんな本が公開された。

 

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電子本の表紙を、かつての文庫本に似せてつくってみた。

 

 

ひとむかし前に、ある文庫本がCD付きで出版された。昔と言っても1998年のこと、ついこないだといっていい。どうしても本に他メディアを背負わせる必要が生じた。それは大量の写真、253枚、しかもカラーで。文庫本の題名は『撮って、と被写体が囁く』、作家・片岡義男の作品だ。

 

電子書籍というか、デジタル出版というべきかいつも迷う。だが、我が師・津野海太郎なら〝電子本〟といいきる。だってほら〝文庫本〟と今いってたじゃないかさ、と。電子本なら写真を他メディアに背負わせるなんて必要はまるでない。だが、文庫本なら別の何かを背負っているのは、おまけでもあり、付録でもあり、サービスでもあったのだ。証拠といってはなんだが、文庫本の帯にはデカデカと「文庫初 CD-ROM付き‼︎」と謳っていた。自慢ごとでもあるように。たしかに752円(税抜)の価格に8センチのミニCDを付けているのだから原価だって跳ね上がるだろう。思い切った企画であったのだ、きっと。

 

電子本であれば『撮って、と被写体が囁く』は、各章に付された写真が、端末で手のひらでも机上でも本と一緒に読む(見る)ことができる。メディアそのものが本であり、写真であるのだ。果たして、そうして読む本の中味は如何なものなのだろうか? そっちへと主題は移っていくべきだ。本が内包するテキスト以外の情報なるものが、本をどちらへ引っ張っていくものなのか……?

 

ちょっと本棚をさがしてみた。一体、他メディアを背負った本とは、どんなものだったかあたってみた。目についた例を記しておこう。ほんの手近な事例に過ぎないことはご理解願いたい。

 

最初に目についたのは『世界一美しい本を作る男』。副題として「シュタイデルとの旅」とあり、「DVDブック」とある。『考える人』編集部とテレビマンユニオンが制作にあたり、新潮社が出版している。うーん、これならわかるナ。これは本じゃないよ、DVDのパッケージだよ。ちょっとまともなライナーノーツが付いたかつてのLPレコードを思い出させる。パッケージのサイズがグンと小さく本のサイズに収まったということだろう。

 

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次に見たのは『1969 新宿西口地下広場』。ドキュメンタリー映画『’69春〜秋 地下広場』のDVDが付いている。これは分量からいっても立派な本だろう。DVDはむしろ本を支えるライナーノートの役割じゃないか? 「夜明けは近い……私たちは本気でそう歌っていた。でも夜明けは近くはなかった」そんな文句が帯には書かれている。大木晴子+鈴木一誌編著、新宿書房が出版している。

 

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別種の「DVDブック」というものが目についた。前述の『世界一美しい本を作る男』とは比較にならない分量のテキストが詰まった本であり、題名は『目撃!文化大革命』(土屋昌明・編著、太田出版)とあり、「映画『夜明けの国』を読み解く」と副題が付いている。岩波映画が製作し、時枝俊江が監督した1時間50分の長編記録映画を見ることができる。本と映画は決してメディアとして一緒になっているわけではないけれど、相互に補完しあい、理解の深化に役立とうとしている。だがまてよ、だからといって本にDVDを同梱して届ける時代じゃなくなっているだろう。こうして本を売ることがどれだけ大変なことかは、コストも権利処理も、そして本体の本を書くことからも十分に推察できるから。

 

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そして最後に『日本語訳 国連北朝鮮人権報告書』(報告書:国連調査委員会、訳:市民セクター、監訳:宋允復、発行:ころから)の話をしたい。日本語訳された分厚い本になっている。まさかこの本にCDが付いているとは思わなかった。国連の調査報告書はそのすべてがWebで公開され、誰もが無料で読むことができる。だからといってアクセスしてそれを読もうとは誰もしないだろう。読むことには理由がある。それもこのような調査に関して向き合うことは大きな意志や動機がなくてできることではない。本は、そのきっかけを与える。だから本にして伝える意味があるのだ、と本書の中で語られている。私もだからきっと、この本を手にしたのだろう。CDを使って語句検索が可能になっている。

 

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片岡義男作品『撮って、と被写体が囁く』の話から、とんでもない方向へ話がいってしまった。本にとってCDやDVDというように他メディアが付随することは、どうやら幸福なことではないように感じるが、どうだろう? けれど、どうして人はそうしたのか? 何かの不足、何かの不満、どうしても至らない理解への架け橋として、本が本以外のメディアとしっかりと手を握りたかった気持ちがあったのだと思う。足りないもの、至らないもの、その先を願い、もがく人の気持ちを、私はこれらの本を眺めながらつくづくと思ってしまうのだ。

 

 

片岡義男.comチーム
萩野正昭

 

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片岡義男.comでは『撮って、と被写体が囁く』の公開に合わせ、特集ページで片岡義男がこれまでに書いてきた、写真に関するエッセイをピックアップして紹介しています。片岡義男の写真に対する考え方や姿勢などについて、さらに深く知ることができます。どうぞお読みください。写真に関する作品は年内に次々と公開していきます。どうぞ片岡義男.comにご注目ください。そして皆様からのご支援、プレミアム会員へのご登録をお願いします。

 

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