ここにも音楽は流れていた

作詞家として一世を風靡した阿久悠と歌謡曲の時代をあらためて見つめる連載の企画がRomancer Cafeで始まっている。すでに連載11回目が公開となっている。

 

https://romancer.voyager.co.jp/cafe/

 

過ぎ去ったことではあるが、振り返るとそこに常に音楽が流れていたことにハッとさせられる。自らその音楽を引き出すことはなかなかできないのだが、どこからか流れてくる音楽を耳にすると、自分がいた情景がぼんやりと浮かんでくる。賑やかだった商店街を歩いて通学していた頃、臨海学校へ行く船が岸壁を離れる時に流れていた歌……どこにでもしっかりと音楽は息づいていた。

 

まるで関係もなさそうな情景を引っ張り出し、そこにあなたの思い浮かぶ音楽を聴いてもらいたい。そう思って、時代や世相の何気ない写真を、この連載につけていこうと計画した。連載11回目の『1969年と阿久悠時代の夜明け』から、思い切ってそうした写真を利用した。

 

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男たちは一点を見つめ、仕事に精を出す。作っているのはテーブルナイフだろうか。

写真提供:佐藤秀明

 

何人かの写真家の方たちへ相談して、計画への快諾をいただいた。初回に利用させていただいたのは、町工場の情景だ。写真家・佐藤秀明さんが提供してくださった中からこの一枚をまずお届けすることにした。どこにでもあった姿、どこにでもいたおじさん、お兄さん。ベルトの廻る騒音の中にラジオから流れる音楽。何かを支えていた力がここにはあり、その力の何百分の一かの声援を音楽は送り続けていたのだろう。

 

形も影もない音楽、聴こえれば消え去って行く。まるでデジタル出版のごとくではないか。そうであっても、人の心のどこかにちゃっかりと入り込み、何かの機会に浮かび上がってみたいものだ。