年頭一言 作品の前に手帳あり

片岡義男.comに毎日、彼のエッセイが載っています。年頭に何が載るのか興味津々で見ていましたら、なんと元旦はモールスキンの手帳の話でした。なんだ文房具の自慢話かよと思っていたら、あにはからんや、これから作品に挑む私たちにとって大事な情景が浮かぶ言葉の連なりでした。

 

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モールスキンのページを開いた様子

 

“手帳のなかにばらばらに書き込まれていることを頭のなかに拾い集め、ひとつにまとめて練り合わせ、おたがいのあいだに化学反応を引き起こさせ、その結果としてそこに浮かび上がる結晶のようなものを、手帳の産物として手に入れなくてはいけない。”

そうか、手帳っておろそかにはできない、作品にとって切っても切り離せない必需品だった。だから手帳にこだわる作家の気持ちが理解できるというものだろう。モグラの皮によく似ているところからモールスキンと呼ばれた服地があり、モールスキン手帳の表紙にはこの服地が使われていたんだそうだ。

いろんなことを手帳に書いていく、そこからが作品への一歩なのだ。

“断片的に蓄積されていく体験のなかから、未来において有効であるはずの戦略という、論理の筋道を引き出す。手帳という記憶装置を、頭という演算装置に、視線というケーブルでつなぐ。手帳を開くと電源がオンになる。ケーブルを経由して入ってくるさまざまな記憶を解析しならべ替え、そのすべてをつらぬく抽出経路を作ると、そこに論理が流れる。”

 

作品を語る前に、日常の記録をこまめに綴ることから。方眼紙でも白紙でも、拠って立つ身方にと、まっサラな手帳を我が手にもって日々前に進みましょう。

 

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