荒れ野の40年 ワイツゼッカー連邦大統領演説全文

荒れ野の40年 ワイツゼッカー連邦大統領演説全文

タイトル

荒れ野の40年 ワイツゼッカー連邦大統領演説全文

ジャンル

書籍/その他

著者

リヒャルト・カール・フォン・ワイツゼッカー

公開日

2015年02月07日

更新日

2017年08月14日

作品紹介

去る1月31日(2015年)ドイツ連邦共和国第6代大統領・統一ドイツ初代大統領であったリヒャルト・カール・フォン・ワイツゼッカーが逝去した。ドイツの第2次大戦降伏から40年となる1985年5月8日連邦議会(下院)での演説は、戦争責任を直視するものとして多くの人々の記憶に残された。戦後70年を迎えようとする今、ワイツゼッカー元大統領の追悼をこめて採録した。すべてインターネット上に公開されているデータを利用させていただいた。

作者からの言葉

戦後70年となる2015年8月15日に、記憶すべき言葉として、この演説の全文をRomancer上に公開したい。

コメント(4件)

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  1. yha...

    拝読させていただきました。

    文中でワイツゼッカー氏の演説で非常に心に響いた部分があります。

    “罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。”

    戦争はしては行けないものであると理解しているつもりです。争いを起こさないように行動しようという信念もあります。

    ただ、それは果たして過去の『責任』を感じてのことなのか? そんな疑問がふとわいてきたのです。
    額に手を当て、よくよく考えてみると『日本は責任をとった。だからわたしたちは同じ過ちを繰り返しては行けない』そう思っている自分がいる様な気がしてくるのです。

    それはいけないと思いました。同じ日本人を他人として捉えていたら、私たちはまた争いを繰り返してしまうのではないかと。

    遠い未来、もし日本人がまだいて、戦争が行われるかもしれない時、もし責任を感じていなかったら「あのときとは違う」と戦争がはじまってしまうかもしれません。
    かれらには、私たちは彼らに「あの過ちを繰り返してはいけない」と言ってもらわなければいけないのです。
    それを伝えることができるのは、私たち若い世代だけでしょう。

    長々と書きましたが、わたしはまず自分ができることをすることにしました。
    テレビや、雑誌や、ラジオなどで、戦争の話が出た時、それを自分の事として考えるようにしてみます。

    • 匿名

      一年が終わる今頃になってこのメッセージを読みました。まずはこんなに時間を置いてしまったことをお詫びいたします。そしてお気持ちを書いてくださったことに感謝します。今日、韓国の慰安婦問題の記事を読み、再びワイツゼッカーのこの演説を読んでみたくなり、あなたのコメントを発見した次第です。なぜもっと早く、私たちは心から謝る気持ちにならなかったのか。心底そうは思ってこなかったからでしょう。まずは一人一人が反省の気持ちを持ち、それの気持ちを発することから全てが始まるものでしょう。

      • 萩野正昭

        74年目をむかえる終戦の日に、このTextをデジタルで掲げることの意義にはじめて気づきました。大事なことを忘れていたのです。デジタルを何か特別な都合のいい道具のように思ってきてしまいました。間違いでした。そこにある人間性にこそ価値があり、デジタルはその人間性をサポートする立場だということです。デジタルが人間性であるなどと考え違いしていた長い時間を反省します。

  2. 萩野 正昭

    アクセス数値が9,999になっていました。Romancerで無料公開された本の中で、初めて10,000を越えるものが出現することになります。そして、その嚆矢となる本がワイツゼッカーの演説であったことに感慨をおぼえます。読んでくださったみなさん、ありがとうございました。