コンピューター文化の使い方③

コンピューター文化の使い方③

タイトル

コンピューター文化の使い方③

ジャンル

書籍/コンピュータ

著者

室謙二 津野海太郎 萩野正昭

公開日

2015年01月14日

更新日

2015年04月14日

作品紹介

ボイジャーを創立して、初めて受けたインタビューの記事である。すでに『思想の科学』もなくなってしまった。1993年当時、みんなどんな気持ちでデジタル出版に想いを馳せていたのか、それを垣間見る格好の歴史的記録ではないかとおもう。軽い気持ちで振り返っていただきたい。

作者からの言葉

1993年初夏のことだった。友人だった室謙二から電話があり、『思想の科学』という雑誌のインタビューを受けてくれないか、という連絡があった。1992年の終わりに、私は脱サラしてボイジャーをつくったばかりの頃だった。会社が営業していた電子出版をなんとかして宣伝しなければならない立場でもあったので受諾したのだが、インタビューに来る人の名前を聞いて後ずさりしてしまった。津野海太郎といえば、海坊主のようで眼光鋭く、容赦せずにダメなものはダメと一刀両断するという噂を聞いていたからだ。よちよち歩きの電子出版を真っ二つに切り捨てられたらどうしよう。まさに己の身が切り裂かれる思いがした。室謙二は、そんなことないよ、やさしいよ、きっと、という。きっとってどういうことだ、いやだナ。そう思いながらも泣く泣くインタビューのその日を迎えてしまった。正直緊張して何を話したか覚えていられないくらいだった。なんとか終わってやれやれとしたとき、ギャラをくれた。えっ、そんな、とてもいただける話ではありませんと固辞したのだが受け入れられず、だったらみんなでビールでもということで外へくりだした。携帯電話があった時代ではなかったけれど、どういうわけか手回し良く、酒席に次々と仲間が集まってきた。平野甲賀、高橋悠治。私はそこではじめて名だたる芸術家諸氏にお会いすることになった。そして、恐れていた津野海太郎というひとがとても近しい、やさしい人であることを知った。それから長くずっと津野海太郎はボイジャーを陰に日向に支えてくれる恩人となった。平野甲賀、高橋悠治もそうだったし、室謙二が変わらぬ愛を私にくれたことも特筆しておくべきことだろう。あの日のことを私は今でも忘れられない。肝心のインタビューがここに記録として残されている。何を話したのか、長い月日を経てこれを皆さんと一緒に読みかえしてみたい(萩野 記)。

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