10月26日はボイジャーの創業記念日です。
1992年から2024年までの32年間、電子出版一筋で活動してきました。
今はスマートフォンで読書する人を通勤電車でもよく見かけますが、一体、創業時はどんな様子だったのでしょうか? アメリカのボイジャー社と萩野正昭をはじめとする4人の創業メンバーはどのように仕事を始めたのでしょうか? 萩野正昭が語る創業時の様子、どうぞご覧ください。
創業時の写真。左から鎌田純子、北村礼明、萩野正昭。
創業メンバーの一人である、祝田久が写真撮影したと言われている。
壁に掲げられたオーソン・ウェールズの『市民ケーン』のポスターは、
オフィスが変わってからもボイジャーを見守っています。
1992年、ボイジャー創業時のオフィスづくりのワンショットです。
机のボードも自分たちで塗装して仕事場を作っていました。
表参道にオフィスを構えたのは、「表参道は交通の便がいいから」という理由が大きかったそうです。
1990年に竣工したばかりのマンションは、これから出発するボイジャースタッフにピッタリでした。
かつて、サンタモニカ海岸に建っていたボイジャー本社のレンガが、ボイジャージャパンに残されています。
萩野は、アメリカのボイジャーを理想の職場だと感じていました。
その魂を引き継ごうと日本に持って帰ってきたのです。
『市民ケーン』のポスター、ボイジャー本社のレンガは以下の作品でも語られています。
左:創業時の1990年代に撮影された表参道 右:『ファーブルの世界』
レーザーディスクの作品で『ファーブルの世界』というものがありました。
画面にテキストが表示され、リモコン操作する事で次のテキストが表示されたり、映像表示に繋がる画期的な作品でした。
現在の電子書籍にも通じるものが、40年前に作られていたのです。
1990年11月19日発行の日経マックワールドに掲載された『LDを利用したマルチメディア環境の実際』では、当時の状況の中でテキスト、音声、映像をコントロールするマルチメディア体験の開発が必死に試みられていた詳細が語られています。
32年前の1992年10月26日、萩野は麻布公証役場へ会社登記に出向きました。
公証人は萩野の顔を見て「うーん、ボイジャーかぁ……いい名前ですね。この会社は大きくなりますよ! そう思って今、印を押しましたよ」と言いました。
胸を張って公証役場から外へ出た日。萩野にとって、忘れることの出来ない思い出です。
今でこそ一般的になった電子書籍が、誰にも見向きもされなかった時代もありました。
創業者の萩野が最後に手掛けた『デジタル生存競争』は電子書籍で1万部を超えました。
デジタルを活用して、創造的で人に寄り添ったことをしよう!という気持ちで電子書籍の世界を進んだ結果が出てきたように思えます。
「Text: The Next Frontier」を胸に、これからも電子書籍の未来を切り開いていきます!
ZEN大学(仮称・設置認可申請中)歴史アーカイブ研究センター(略称:HARC)が8月に行った「オーラル・ヒストリー」インタビューでは、他にもボイジャーの歴史が語られました。こちらの公開もお楽しみに!
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