プロイセン王妃ルイーゼ 下 ナポレオンと戦った王妃

プロイセン王妃ルイーゼ 下 ナポレオンと戦った王妃

タイトル

プロイセン王妃ルイーゼ 下 ナポレオンと戦った王妃

ジャンル

書籍/教養

著者

霧野智子

公開日

2016年01月01日

更新日

2016年01月01日

作品紹介

プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世王妃、初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム一世の母であり、そして現在でも、ドイツで最も人気のある王妃ルイーゼ王妃は、その美貌、当時のファッションリーダーとでも言うべき、華やかなファッションスタイル、そしてその明朗で気さくで、親切な親しみやすい人柄、それまでのプロイセン王家では珍しい、ブルジョワ的で円満な家庭などから、すでに大変な人気を博していたが、何よりも彼女の存在を伝説的にし、 圧倒的に人気を高めたのは、フランスのナポレオン軍の相次ぐプロイセンの領土侵攻に対し、毅然とした態度を示し、ナポレオンに抵抗し続けた彼女の姿勢だった。
ナポレオンのドイツ進攻の前に、ドイツの諸邦国全体が、存亡の危機に晒されていた時代だったのである。


下巻内容紹介。 オーストリア、ロシアと、ヨーロッパの各大国を相手に次々と勝利し、ついには神聖ローマ帝国を解体、神聖ローマ帝国皇帝フランツ一世を退位させ、そして「ライン同盟」結成など、ナポレオンの勢力拡大に脅威を感じた、国王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世と王妃ルイーゼは、皇帝アレクサンドル一世との同盟を計画する。やがて、プロイセン王国の飛び領地であり、妹フリーデリーケの嫁ぎ先にもなっていたアンスバハやエッセンなどの、国内の各領土や、父のカール・ルートヴィヒが州知事を務めており、そしてかつて王妃ルイーゼが家族達と幸福な時間を過ごしていた、プロイセンとの関わりの深い場所であるハノーファーなどが、ヨーロッパ全土の支配を目論むナポレオンにより、次々と侵略されていく。 ついに、プロイセンはフランスに宣戦布告、しかしイェーナ・アウエルシュテットの戦いでフランスに大敗、国王一家は東プロイセンのケーニヒスベルクに亡命、二年間の亡命生活を余儀なくされる事になる。そして首都ベルリンはフランスに占領された。
更に、各領土の分割、更に国庫の三倍の賠償金の支払いと、それが済むまでは、国内の十五万人のフランス軍駐留を認めるという、厳しい条件を突きつけられた。



このような中、ハルデンベルクやシュタイン、そしてシャルンホルスト、グナイゼナウ、ボイエンらの改革官僚により、存亡の危機に晒されたプロイセンの復活のため、必死でプロイセンを近代国家に生まれ変わらせようと、そして来たるべきナポレオンとの再度の対決に備え、急遽各改革が行われた。そして、ついにその成果が現れ、「解放戦争」で各国連合軍とナポレオンをワーテルローの戦いで破り、平和がドイツ全土に戻り、プロイセンもフランスに奪われた領土を取り戻し、復興ヘの道を歩み始めた。
しかし、この結果を見届ける事なく、王妃ルイーゼは、ナポレオンとの戦いに、命が燃え尽きたかのように、一八一〇年に、三十四歳の若さで死去、すでにこの世の人ではなかった。やがて、六一年後の、一八七一年に次男の王子ヴィルヘルムは、初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム一世として即位する。

作者からの言葉

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