片岡義男.comで、ある書評が紹介されている。「球場の書店に寄る」(1~11+最終回)この「1 投球と口語の幸せな合致」に目が釘付けになった。惹きつけられて書評の原本にまで行ってしまう。リング・ラードナーの著作。1978年に世界ユーモア文庫の一作として出版された『おれは駆け出し投手(翻訳:中村雅男)』、2003年に文庫化された『メジャーリーグのうぬぼれルーキー(翻訳:加島祥造)』、二つは同じ作品である。
一冊の本が持ち得る力は、あなどりがたいものがある。書かれた言葉は口語であり、口語で語っていくことが生み出す効果は、読者が目で追う文字が、その読者の頭のなかでたちまち音声に変換されていくという、ちょっとした魔法なのだ。「アメリカにおける言葉の正当性」と片岡義男は書いている。プロフェッショナルな野球とは――球場というひとつの場所に大衆を集め、フィクションと現実の渾然と溶け合った時間をからめ取り、時間が持ち得る限度いっぱいのドラマを彼らに消費させる。著者は、読者を夢中にさせ、大笑いさせた。作品を綴っていく言葉のなかに、アメリカのすべてを見る気がする。
ところで、野球場に書店なんてあったんですか? どの球場でした? そう片岡さんに直接聞いてみた。ずっと昔のことで忘れちゃったよ、と。でも、アメリカ文学における野球の存在の大きさをしばらく語ってくれた。これはどこかで書いてくださいと言い残して電話を切った。乞うご期待だ。
遠く忘れ去ってしまったかつての雑誌。その片隅の連載を片岡義男.comはほじくり出して公開を続けている。目を剥く事件や仲違い、怒鳴り合いから目を離して、人知れず草原に咲くこうした記録に心を通わせる時ではないだろうか。どうか片岡義男.comをご支援いただきたい。そして支援のプレミアム会員へのご登録をお願いします。