ポツリ一言 これは地獄だ


作家・片岡義男が写真と一文で綴るシリーズ「東京を撮る」は、すでに一部で公開が始まっています。 下高井戸、経堂、下北沢、谷中、町田と、東京の街中を歩き自らシャッターを切ってお届けしようというものです。でもしかし、送り手である片岡チームの私たちでさえ、一体何がしたいのかよく分かっていませんでした。ですからいわば「そのまんま」だすしかなかったのです。

 

*ここまで聞いてご興味あれば今すぐにでもご覧になれます

→片岡義男・書き下ろし作品

https://kataokayoshio.com/original#tokyo

 

ところがだんだん理解できてきました。

場所の名前からして東京にあまりなじみのない方にとっては興味を引きにくいかもしれません。しかし、「東京を撮る」は、地域や景色に視点があるのではないです。下北沢とか町田という名前は、確かにその場その場で撮ったという意味はあるものの、だからといって町田に特別な意味はないのです。人が何かを想い、あるいは夢見て、関わったその先に表出した造作に片岡義男は目を注いでいます。言ってみれば人の成した「成れの果て」の姿を見ているのです。じっと破片のような「成された姿」を見つめながら何を思うか……ジリジリと、いやカラカラと、時計の針が逆回転して浮かび上がる人の想いと夢。ある意味で人の真面目さに行き当たるまなざしを感じることができます。おおくの場合、そうした視点は小さなものに注がれます。戸袋、軒先、入り口、垣根、窓……ショーウィンドウや看板など。

 

しかし……何度もしかしと言わせてください。人の夢見た成れの果てにあった小さな造作からゆっくりと視野を広げていってみましょう。徐々に、もっと、もっと。広がったあなたの画角に見えてくるもの。通りとか街とか地域とか、いっぱいにひろがった集積の何とも混沌とした醜悪さが目を覆ってきます。どうしようもない諦めの極致に自分が追いやられていくのです。
ポツリ一言、これは地獄だ。片岡義男は言いました。

 

じゃ、どうすればいいんだ? 生きながら状況にどうしようもないたった一人を感じてしまいます。こんな短いアニメですが、お互いを勇気づけましょうとしか言葉がありません。