教育はすぐに成果など現れない

学校の先生のことをみんなよくは言わない。最近はとくにどぎつい。私も当時はそんな一人でもあったかもしれない。申し訳ないとつくづく思う。というのも、今になってわかったことがあります。お話ししたい。

 

私は東京の品川区にある都立高校に通っていた。担任は土方俊彦という英語の先生でした。先生はよく教科書から離れて本を読めと薄い英語のテキストを紹介した。サイドストーリーだと。私が読んだのは『Shooting an Elephant』と表紙に書いてあった。G・オーウェルの『象を撃つ』という名作だ。当時は何もわからない少年にすぎない頃であったから、深く考えることもなく題名のわかりやすいものを手に取ったわけだ。不思議というかラッキーだったというべきか私は『象を撃つ』を英文で読んだのです。その上に簡単な感想まで言った。考えられない稀有なる出来事でした。先生は見たこともない笑顔で私を見た。そしてロクでもない戯言の私の感想を聞いて頷いてくれた。もう一冊薄っぺらい英語のテキストを先生は私に渡した。これを読めと。そこに“John Steinbeck”と書いてあったことははっきりと記憶にあります。でもなんという題名の本であったか思い出せない。たしか……『人々を率いる者』だったか『???の少年時代』だったか……アメリカの内陸地、遠くに高い連山。つづく山々を見て少年は育つ。あの山の向こうに何があるのかといつも思いながら少年は成長し、ついに山の向こうへと旅立っていく……という話だったと思うが確かではない。読みきっていなかったのかも。スタインベックの名前とも映画『怒りの葡萄』の原作者ぐらいの関わりしかその後もなかった。

 

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私の高校、東京都立八潮高校。戦前は府立第八高等女学校、その時代からの校舎だった古風な雰囲気から、鈴木清順監督の映画『けんかえれじい』のロケに使われて、「岡山第二中学校」にされてしまっていた。

 

高校を出て何年の時間が経ったというのだろう。54とか55年とか半世紀以上が過ぎ去っている。そんな私が片岡義男のエッセイにジョン・スタインベックの名前を見て書かれた字面を凝視した。『アメリカを探して チャーリーとの旅』というスタインベック最晩年のノンフィクションを片岡義男は引き合いに出し、「故国を探した作家の失望の旅とは」と問いかける。「まったくなんの意味もない放漫きわまる浪費と消費のなかで、肥大し続ける自己中心主義という無知蒙昧さの極致としてのアメリカ」と言い、「彼が見たアメリカは、そっくりそのまま、現在のアメリカにつながっている」と。これを読み私は日本を思う。予言に満ちて私に示唆するジョン・スタインベックの名前と高校でのサイドストーリーが頭に浮かんだのもそのせいだ。

 

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https://kataokayoshio.com/essay/180402_john-steinbeck

 

教育というものの発酵作用を私は体験する気持ちだった。今になってあのとき受けた教育の意味がありありと自身に滲み出てくる瞬間だった。教育というものは……この体験を大切にしたい。どこかで語り続けていきたい。

 

萩野正昭

 

*土方俊彦先生は2017年1月31日逝去された。もう一度先生の笑顔を見たかった。