水田に苗を植えるんだ

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泥だらけになって……田植えにはまだ早い桜の開花を待つ季節ですが、こんなメッセージをお送りしたい。

 

NASAの宇宙探査機ボイジャーは、打ち上げられて41年を経過し、地球から126億キロの遠きにいたり、今なお信号を送り続けています。1977年にほぼ時を同じくして打ち上げられた2号と1号のボイジャーは、太陽系の果て、冥王星の軌道外を航行しながら、時おりバッハやモーツアルト、それに日本の尺八奏者・山口五郎の音楽を金属板レコードから流しているようです。太陽系外での知的生命体との遭遇を求めて走っているのかと思うと感じ入るものがあります。私たちの会社ボイジャーはこの宇宙探査機からとられたものです。なぜそう命名したのか今にしてみれば、しんえんさに背筋がのびます。これは例えこじつけであろうとも、私たちがたどった道筋とダブらせて申し上げておきたいことです。以下は、私たちの会社案内によく添付する説明のひとくだりです。

 

小さな部屋からの出発

 

ボイジャーは1984年、米国西海岸で誕生しました。一組の夫婦が自宅の居間を利用してはじめたとても小さな出版社でした。この夫婦(Bob & Aleen Stein)は、多くの協力者をえてボイジャーを成長させていきました。ボイジャーから二つの会社が、パリと東京に生まれました。1992年に生まれた”Voyager Japan”が、東京の株式会社ボイジャーです。(*現在は”Voyager Japan”しか存在していない)

 

私たちのメディア

 

デジタル技術の発達は私たちに可能性を与えました。ボイジャーが目指したのは新しいメディアの創造でした。今までのメディアではカバーしきれなかったさまざまな人々の声を時代の役に立てる必要があると感じました。特に経済的な常識から諦めざるをえなかった貴重な記録を後世につたえるパブリシング=出版活動が新しいメディアと深く関わっていることに注目したのです。ボイジャーは誰もが参加できるデジタル・パブリシングのための方法に取り組んでいます。

 

テキストこそ時代を先駆ける Text: the next frontier

 

ボイジャーはテキスト=文字から出発しようと考えました。デジタル技術によって素晴らしい世界が拓けたとしても、限られた人の手に握られる排他的なものであるなら、これもまた人に敵対し、奪い、苦しめるものになることでしょう。私たち自身が創造する主役であることが何よりも大切なことです。ボイジャーはデジタル技術の可能性を広く人々のパワーとしていくために、人が困難な中においてなお創造し、記録し、伝達することの情熱を絶やさないように、いちばん身近にあって使い続けられるテキスト=文字を重要に考えています。テキスト=文字を大切な伝達手段と考えるのは、それが私たちのいちばん熟達した手段だからです。この手段を柔軟に調和させていくために、新しいテクノロジーを利用しようと思います。

 

知恵をしぼる Bring Your Brain

 

問題は常に経済的な負担です。この重荷が前にいこうとする心に立ちはだかります。諦めから私たちを救う方法を模索する必要があります。デジタル技術は可能性を広くもつとはいえ常に目先の利益のために利用され、利便さに見合う対価を私たちに強いています。ボイジャーは新しい技術に活力を与え、永続的に人々の糧となる道をつくろうと考えます。長い時間をかけて生活の中で培った人々の経験や工夫のもつ力を信頼し、ともに知恵をしぼる企業であることを目指します。

 

なぜボイジャー?

 

ボイジャーという社名の由来は、木星、土星探査のために打ち上げられた二つの宇宙船からとられています。遙か未知の世界をつきすすむ任務をもつという意味においてこの名前が付けられました。宇宙船ボイジャーは太陽の磁力圏を離れ、いまも深い宇宙のはてを航行し続けています。もとは旅する船人の意であるこの名前は、現代では広い解釈をさそうことでしょう。いまや海を渡るためだけに航海があるのではなく、宇宙もテキストもネットワークも「航」の対象となることでしょう。

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平野甲賀デザインのボイジャー・ロゴ
 

私たちは新しいメディアを電子出版に見ようとしたのです。そして電子出版が新しいメディアとして成り立っていくための未知への航行を覚悟しようとしたのです。電子出版が盛んに話題になりつつある今日、なぜ電子出版なのかを問い直すことは重要な意味を持っていると思います。なぜならば、電子出版とは「水田に苗を植える」行為からはじまるということを誰もが意識していただきたいからです。田植えと刈り取りは、両者とも人間的行為です。しかし両者を全うしてこそ二つは人間的なものであって、刈り取りだけというのでは話にならないです。では、「水田に苗を植える」とはどんなことなのでしょうか。

 

常に発見への旅をする尽きない興味と逞しい精神の持ち主であること、安住する存在ではなく、絶えず社会とのかかわりの中から発していく人間である。これは人としての典型の一つです。つまり誰もがそうでなければならない、誰もがそうできるようでありたいということです。「水田に苗を植える」ために、靴を脱ぎ、裸足になってぬかるむ水田にズンズンと足を踏み入れていくように……