今も昔も、人は核について何も知らない

 原爆投下、そして終戦の8月15日。暑い日ざしと蝉の鳴き声とともに、忘れられない記憶がよみがえる季節です。

 

「ヒロシマ・ナガサキのまえに―オッペンハイマーと原子爆弾―」かつてCD-ROM製品として販売していた作品、現在はEPUBという形式の電子本として、ボイジャーのBinB storeはじめ各書店で販売中です。本書の訳者である青空文庫創設者、故・富田倫生さんのメッセージをお伝えします。

 

 原爆をつくった側がいれば、太平洋をはさんだこちらには、落とされた者がいる。この作品の日本語化を手伝った直後、 私は青空文庫というテキスト・アーカイブにかかわった。そこでは、広島で被爆した原民喜峠三吉、長崎で惨禍にみまわれた放射線医学者、永井隆の作品をひらくことができる。

 はじめての原爆実験がおこわれた場所は、トリニティ(三位一体)と名づけられた。本作のテキストによる復刊によって、ネットワークには、ヒロシマ、ナガサキにくわえて、トリニティをめぐる証言がそろうことになった。


ヒロシマ・ナガサキのまえに―オッペンハイマーと原子爆弾―

ジョン・エルス/訳 富田晶子・富田倫生

 

 富田倫生さんの翻訳メモを中心とした無料版「ヒロシマ・ナガサキのまえに ― マンハッタン計画への道」も用意しています。2017年版では「目標都市選定資料」の章を追加しました。

 

 すでに第二次大戦経験者は高齢となり、ヒロシマナガサキも過去の歴史となりつつあります。平成生まれの中高生にとってそれは、教科書の記述以上のものであり得るのでしょうか。

 

 戦後、少なくとも1970年代までは「原子力の平和利用」はバラ色の未来を感じさせていました。その頃の漫画、アニメに登場するロボットたちに原子炉が搭載されていた時代です。しかし1979年のスリーマイル、1986年のチェルノブイリ、そういった原子力発電所の事故が風向きを変えました。

 

 しかし我々は、はたしてどれだけ「核」について知っているのでしょうか?

 

 今年Romancer Storeは、「核」に関する著作を、2冊得ました。

 

 1冊は、かつて長崎の被爆少年だった天才科学者ジョージ・シラトリを中心人物とする、国家権力の横暴への抗議をテーマとする科学小説『オペ・おかめ』。

 薄れゆく原爆の悲劇の記憶を、『オペ・おかめ』で克明に記された、被爆者たちの痛みと悲しみ、世間や国家の無理解や無関心の記録は、断固たる抗議のメッセージとともに鮮明に甦らせます。この小説によって、私たちは、核のもたらす痛みを感じます。


オペ・おかめ

藤永茂

 

 

 もう1冊は、米国原子力研究の第一人者による、放射線・原子力事故を徹底的に調査しつくした大著『アトミックアクシデント』です。

 では、核とは、どんなものか。具体的にどのような歴史があり、それは人類にとってどのような存在であるのか。それを深く知りたい人に『アトミックアクシデント』は門戸を開いています。この本の特徴は、その分量が示す圧倒的な情報量、そして肯定と否定のどちらにも偏らず、原子力の是非を、あくまで読者の頭で判断させる冷静で科学的な態度です。この論文で、私たちは核そのものを知ることができます。


アトミックアクシデント

ジェームズ・マハフィー/訳 百島祐貴

 

 そして過去の歴史は、不意に今現在の私たちへ、渋谷の路上でスマホを弄って歩く若者たちへ繋がります。『極端に短いインターネットの歴史』を読むと、原爆とインターネットの開発にいかなる由来があり、両者がいかに密接な関連があるか、いかにして「死のゲームから、インターネットが生まれて」きたのかがわかります。


極端に短いインターネットの歴史

浜野保樹

(無料)

 

「巨大科学技術が与えた未来」という項には、以下のような記述があります。

 

 新兵器の破壊力を正確に知るには、まだ空襲を受けていない無傷の地域で、一〇〇万以上の被験者が住んでいるところが最適だった。フォン・ノイマンは日本のどこに原爆を投下したからよいかについて、京都、広島、横浜、小倉の順で将軍に助言している。京都はその条件にかなった理想的な目標となりえたが、街自体が貴重な文化遺産であるというヘンリー・L・スティムソン陸軍長官の個人的判断で外されることになった。

 八月六日広島、八月九日長崎に、原子爆弾は投下され、一瞬の内に二〇万人近くの生命を奪った。そして、八月一五日、日本は無条件降伏を受け入れた。原爆投下の前から日本は終戦工作の道を探っていたが、一般のアメリカ国民は知る由もなく、原爆が戦争を終結させたという印象を持った。言い換えれば、科学技術が戦争を勝利に導いたのであった。科学はいかなることも実現可能であり、科学には不可能はなく、科学の未来は果てしがないというイメージが形成された。科学者は、新しい時代の英雄となった。

 

 

 今も昔も、人は核について何も知らない。しかし、知るための手段、知っている証人は、訪問者を静かに待っている。戦争と平和。核とインターネット。私たちの何気ない日常の起源とは何か、私たちが無自覚に拠って立っているものは何なのでしょう。