幻のデジタル出版

 犬みたいに働いて 丸太みたいにねむるだろう……しんどかったぜ A Hard Day’s Night 。どこかで聞いたこともあるでしょう。いや、あの調子に乗って、口ずさんでいたのかも。

 

 私たちボイジャーはビートルズのA Hard Day’s Nightをデジタル出版しました。1992年のことです。こんなこと後にも先にもありません。何も分からぬドサクサに一輪咲いた徒花あだばなのごときものでした。世の中に出たのはほんの2年間。それ以降プッツンで市場からは消えました。手元に残ったものでさえ、今や見るOSもハードもありません。作られた予告編のビデオだって、YouTubeから削除の憂き目にあうありさま、夢も志も、注ぎ込まれた人の努力も、ことごとく雲散うんさん霧消むしょうしてしまいました! これが出版と言えるのか? 面影を語る誰が残っているでしょう。ボイジャーの反省はまさに “A Hard Day’s Night” から始まったのです。

 

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『A Hard Day’ s Night』 CD-ROM 版

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 これに先立つ1987年、VOYAGER “Criterion Collection”としてレーザーディスク版はリリースされた。1992年のCD-ROM版は、全編90分の映画をQuickTimeでまるまる収録したうえに、シナリオやインタビューなど、数々の付録が入っていた。

 

 そもそもどうしてボイジャーがビートルズなんてできたのか? たどれば一枚のレーザーディスクに行き着きます。映画のレーザーディスク(LD)化の権利をボイジャーはプロデューサのウォルター・シェンソン(Walter Shenson)から得ていたのです。デジタル化の説得はほとんど通じませんでしたが、ウォルター・シェンソンは私たちのあまりの必死さに、LDの権利期間内に限るという条件で、ボイジャーにマルチメディア化の許諾をしたのです。

 LDは完全な映画ひとコマの静止画像を得ることができ、当時始まりかけていたデジタル映像の取り込みに寄与したのです。小さなサイズだったとはいえ、LDの静止フレームから導かれる驚くほどのキレイな動画像がCD−ROMに納められました。

 

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 本とおなじ要領で目次がある(左)、最初の章をクリックすると、本文(右)が開き、QuickTime ムービーによるオープニング映像が『I’ll Cry Instead』のサウンドとともに動き出す。モノクロとはいえ90分の映像がまるまる入ったCD-ROMは、当時ほとんど考えられなかったし、映像の品質もかなりのものだった。実は、この品質はLDの静止画像を一コマづつQuickTimeに取込むという途方もない忍耐作業のたまものだった。

 

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 目次パレットから「Song」を選び、『And I love her』を表示させると、映画の該当シーンがでてメロディーが流れる。ムービーの画像サイズは通常は208×156だった。これを面積比で4倍の416×312でプレビューできたのだが、モザイク状の画素がめだって、お世辞にもいいとはいえなかった。右が拡大された映像。

 

 “ビートルズ”という名前のおかげでこのCD-ROMは人気となり、ちょうどパソコンに常備されつつあったCD-ROMドライブの宣伝に格好のコンテンツとなりました。“ビートルズ”という名前には注目が集まりましたが、誰もこの作品がデジタル出版の多くの課題を込めてつくられていたことを顧みる人はいませんでした。同じような企画が次々つくられましたがみんなアーティストのネームバリューに依拠しただけで、さっさと撤退していったのはその証拠で、しぶとくその後もデジタル出版に噛みつく素振りなど一切なかったのです。

 

 ビートルズ来日! あれから50年が経ちました……あなたは生まれていましたか? よしんばあの日を知っていたとして、どこで彼らの歌声を聞いたのでしょう……さかのぼる50年前。思い出してください! 大学封鎖のバリケード、立て籠もった学園で、貸し布団に包まって見ていた人もいたでしょう。そういう時代だったのです。