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栗本薫 電子本シリーズ Part2

栗本薫作品の魅力納富 廉邦

 栗本薫作品の魅力について書けと言われてホイホイ引き受けちゃった訳だけれども、よく考えてみるまでもなく、そんなのは書けるわけがないのだ。中学三年生だった僕は『ぼくらの時代』を読んで、バンドを始めたし、病気で寝ている事を幸いと親に頼んで買ってきてもらった『SFマガジン[1]』は、グイン・サーガ「豹頭の仮面」の第一話が掲載されていて、それ以降、毎月SFマガジンを買うようになったし、雑誌『綺譚』で連載されていた「魔剣」を読んで、国枝史郎を知り、伝奇の面白さを求めて歌舞伎にのめり込み、中島梓名義のエッセイで、文末にBGM[2]を書く事を覚え、「ぼくら」の薫クン[3] が結婚し、子供ができる『怒りをこめてふりかえれ[4]』を、子供ができた事を知らされた日に購入していたりと、もう、僕の人生はどっぷりと栗本薫の物語に侵されていて、何が魅力か、どこが面白いか、なんてもう客観的に見る事はできないのだ。

 分かっているのは、栗本薫の小説は僕にとって全部面白いということ。そして、様々なジャンルを横断したマルチな作家というイメージを、僕は全く持っていないということ。栗本薫は、いつも、ずっと「面白い物語」を書いているだけで、彼女にとって「ジャンル」とは物語というソフトウェアを走らせるためのハードウェアだったのだろうということ。

 もう20年近く前に、僕は栗本薫さんのインタビュー記事を書いている。その中で、僕の、“ネットワークやデジタルな文化は、物語の新しい可能性を生むのでしょうか?”という質問に対しての彼女の答えはこうだ。

“それはもう新しい文化が登場すればそれにともなって新しい可能性は必ずあります。ただ、ハードが定着すればするほど問題となってくるのはソフトのよしあし、あるいはソフトの有無、ソフトの層の厚さである、ということはかたく信じています。この場合はハードはすなわちデジタルな文化そのものの方です。ソフトは『それを使ってどんな物語が描かれ得るか』ということです。新しい可能性はむしろ、人間性の新しい地平を切り開いてみせるようなものではなく、いかに深く人間性の昔ながらの真実のなかに入ってゆくかにあり、そして新しいハードがそれをより豊かに補助することができるのが正しいのだと思っています。結局は、作家そのものの人間性と創作力が伴わぬ限り、新しい文化は新しい物語に直結はしないでしょう。”

『十二ヶ月 栗本薫バラエティ劇場[5]』という本は、小説新潮誌の連載として、12ヶ月にわたって12のジャンルを書き分けた作品集だ。そこに書かれているのは、「心理ミステリー」「時代小説」「社会ミステリー」「芸道小説」「青春小説」「SF小説」「風俗小説」「捕物帳」「都会派恋愛小説」「本格推理」「私小説」「ヒロイックファンタジー」の12ジャンル。これを毎月一本づつ書いていたのだから、恐ろしい才能だと思うのだけれど、しかし、もしかしたら栗本薫という作家にとって、これはそれほど大変な作業ではなかったのではないかと思うのだ。

 枠としてのジャンル(ハードウェア)があって、その中で動く人間がいれば、そこに物語(ソフトウェア)は生まれる。物語は、ジャンルの中で、そのジャンルが要求するフォーマットの中に正しく配置され、構造ができあがる。その構造に則して人間が動く事で小説になる。膨大な物語をその身に宿した彼女だからできた事ではあるけれど、どのハードウェアを使っても、そこに描かれるのは「人間性の昔ながらの真実」を物語に託した小説。だから、それを読む僕はいつも、時代小説を、ミステリを読むというより、栗本薫が紡ぐ「物語」を読んでいる。

 栗本薫が創造した二大名探偵、伊集院大介[6]氏と栗本薫クンが共演(このスターシステム[7]も僕は手塚治虫ではなく栗本薫に教えてもらった)する『猫目石[8]』の中で、薫クンは伊集院大介に言う。

“あなたはすごく、論理と正確さの鬼だったんだな。びっくりした”

 栗本薫の物語も、僕には「論理と正確さの鬼」のように見える。『十二ヶ月 栗本薫バラエティ劇場』の「捕物帳」の前書きで彼女は、“捕物帳といえば内容よりむしろ、どんな主人公を立てるか、が見どころとなる”と書いているのだけど、こういう「ジャンル」の本質の喝破と、そのジャンルへの敬意、そして、そのジャンルの名作を膨大な量読んで、そこから抽出された、そのジャンルをジャンルたらしめているものの中から生まれる物語は、いつも、そのジャンルのど真ん中を射貫いて、栗本薫が紡ぐ物語であると同時に、そのジャンルの魅力そのものを描いているように僕には感じられる。だから、栗本薫が書くミステリを読めば、「面白いミステリ」がどういうものかが分かる。SFを読めば、「SFのスピリット」が分かる。僕はそうやって、栗本薫の小説に、娯楽小説の歴史を教えてもらった。小説の「面白さ」が何なのかを教えてもらった。そこにあるのは、いつも、ロジカルに組み上げられた「ジャンル」そのものなのだ。

 一方で、同じインタビューの中で“やはり時代と共にありたいと思いますし、最も現代を象徴している世界には、やはりフィックス していたいと思います。基本的には「人間さえいれば、そこにはミステリーが成立する」というのが私の考えですので、ただ「新しい衣」には常に興味がある、ということでしょうか。”という事も言っている。この「新しい衣」を担うのが、薫クンなのだと思うのだ。やはり『猫目石』の中の薫クンのセリフ。

“スターウォーズにドッペルゲンガー、『火星年代記』か。――― SFだな。”

 薫クン得意のパターン認識。このセリフに、伊集院大介は面食らう。これこそが、ロジカルなだけではない、栗本薫の物語のもう一つの核。まるで機械仕掛けのシェヘラザード[9]のように、材料を放り込めば物語が生成されるようなロジカルさと同時に、右往左往し、迷って、フラフラしながら、最終的な何かに、新しい文化や事象をパターン認識で物語に組み込みながら歩き続ける薫クンは、もう一人の栗本薫なのだ。だから、『猫目石』は二大探偵の激突ではなく、二つのドッペルゲンガーの物語に結実する。物語の中に描かれた、栗本薫という作家の物語の作り方を分解して提示したような作品になっていると思う。

 そうして作られた「小説」は、だから全部「面白い物語」になっている。物語の面白さを抽出して、再構成しているのだから面白くないわけがないのだ。だから、栗本薫の小説は色褪せない。25年前、『黒猫館の殺人』が出たばかりの頃の綾辻行人さんが、インタビュー後の雑談で“栗本薫さん、大好きなんですよ。あの美しさが”と言っていたのが、今でもとても印象に残っているのだけど、多分、この「美しさ」が、きっと栗本薫作品の魅力なのだ。「面白い物語」として組み上げられた構築物の美しさ。それが、栗本薫が考える「小説」だったのではないかと、僕は思っているけれど、そこは、「栗本薫の物語」にどっぷり侵された僕だから信憑性は薄いかも知れない。

BGM:

PANTA & HAL
「ステファンの6つ子」

甲斐バンド
「ポップコーンをほおばって」

沢田研二
「探偵(哀しきチェイサー)」

浅川マキ
「それはスポットライトではない」

郷ひろみ
「ハリウッド・スキャンダル」

イーグルス
「ホテル・カリフォルニア」

ピンクフロイド
「あなたがここにいてほしい」

納富 廉邦
フリーライター。エンターテインメント全般をフィールドに、「MONOマガジン」「⼣刊フジ」「朝日新聞」「ココカラ」などの雑誌をはじめ、書籍、ネットなど、さまざまな媒体で執筆。著書に「子供の本がおもしろい!」(アスペクト)、「大人カバンの中身選び」(玄光社)他多数。小物王とも呼ばれ、グッズの使いこなしや新しい視点でのモノの遊び⽅、選び⽅、モノのプロデュースなどでも活動しています。

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投稿日:2017年8月29日 更新日:


  1. 石森 より:

    「猫目石」は好きな作品です。ペンネームの通り石森信が好きなので、薫クンと石森信の再会はうれしいシーンです。

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