沢田研二「時の過ぎゆくままに」、石川さゆり「津軽海峡・冬景色」、ピンクレディー「UFO」ほか、数々のヒット曲を世に送り出した天才作詞家・阿久悠。彼が、日本の歌謡曲における黄金期を支えたことは間違いありません。しかし、それにとどまらず彼こそが、ビートの時代が到来した1960年代後半から、井上陽水、忌野清志郎、松任谷由実、桑田佳祐らへと受け継がれた、“新しい歌づくり”を実現させる魂の原点であったことを見過ごしてはならないのです。
 そう語る気鋭の歌謡曲研究家・作家、佐藤剛が、高い評価を得た著書『上を向いて歩こう』や『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』などに続いて取り上げるテーマは『阿久悠と歌謡曲の時代』。それは「ない」からはじまった――。

音楽プロデューサーとして甲斐バンド、THE BOOMなどを手がけ、作家として『上を向いて歩こう』(岩波書店)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)などを上梓している。
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第28回 2018年2月2日掲載
第二部 「ざんげの値打ちもない」という夜明け

第八章 歌の原点にあったフランス映画と「暗いはしけ」

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「ざんげの値打ちもない」の誕生にまつわる謎の一つに、阿久悠が歌詞を書いた時点でポルトガルの国民歌謡であるファドをイメージしていたのはどうしてだったのか、という疑問が残っていた。本章ではファドの女王と呼ばれたアマリア・ロドリゲスを世界に知らしめたフランス映画を通じて、阿久作品における作詞と映画と音楽の深いつながりに迫った――。
詞を書く時に思い描いていた映像

阿久悠の頭の中で鳴っていたと思われる音楽を探す旅に出るにあたって、イメージの原点にあった音楽にたどり着くためのテキストに用いたのは、1973年に出版された『作詞入門 阿久式ヒット・ソングの技法』(岩波書店)です。その第1章に書いてあった「歌は世につれというけれど~阿久悠現代作詞論~」には、作詞という仕事についての基本的なスタンスが述べられています。

きわめて具体的に書かれたその方法論に則って、北原ミレイの作詞依頼を受けて構想を練ってから完成するまでの流れを、筆者なりに組み立ててみることにしました。阿久悠はこのとき、「異端でも、傍流でも、存在を示そうと決心した」と、自伝の『生きっぱなしの記』で述べています。どちらかと言えば外的な事情から始まった作詞という仕事に対して、表現者として初めて本気で取り組んだことがわかります。そして「1970年代の迷い子」というテーマに基づいて、挑戦的ともいえる歌詞を書き上げたことで高い評価を得ることができたのです。それがヒットにも結び付いたことによって、作詞家としての人生が決定付けられました。

そうした記念碑的な作品の成立はおそらく、こんなプロセスだったのではないでしょうか。

(1)コマーシャル・プランをつくって作品のベースを形にする。
ルックスではなく歌唱力で勝負したいという新人なのだから、時代が求めている歌でなければならない。メジャーの世界では「怨歌」を体現している藤圭子がブームになり、アングラの世界でもブルースの浅川マキが注目されている。共通するのは「暗い歌」であるが、二人とも寡黙でいながら強い意思を感じさせるところも、若者に支持されているのではないか。せっかく制約がなく自由に書ける歌詞を頼まれたのだから、この際、思い切って究極の「暗い歌」を作ってみるのもいい。

(2)どんなイメージで売るかを考えてテーマを決める。
昔は詞になる世界、ならない世界というものがあったが、今はなくなって価値観が多様化し、大衆が移り気になっている。しかし、それでもいくつかのタブーはある。それならばタブーを破ってみるのはどうか。常識や形式を崩して新鮮さを打ち出せれば、いやでも人の目につくに違いない。これまでも異端とみなされてきたのだから、異端なりに徹底することで自分らしさを出せるのではないか。明るさもない、可愛さもない、いじらしさも何もない、「1970年代の迷い子」をテーマにした物語――。

(3)映像を思い浮かべて情景を描いてみる。
歌い手本人には会ったこともないし、写真すら見せてもらっていない。だが、渡された2曲のテープから聴こえてくる歌声はアルトで深みがあり、アマリア・ロドリゲスの歌うファドを思わせるような力強さもある。あたたかさや幸福感というよりは、孤独な哀切感のほうが似合う。どこか暗い場所でただ一人、前を見つめている女がいる――。そこは罪を告白しにやって来た教会かもしれないし、服役して罪をあがなっている刑務所の中かもしれない。

(4)最後には必ず救いがなければいけない。
歌謡曲に前例のない殺人事件を歌詞で描いたらどうか。これまで誰も手がけたことがない、切り裂くような冷たい戦慄とは――。恵まれた環境にはいないが、そこで泣き崩れたりあきらめたりはしない女――。人生に対してどこかで居直っている、強さを持っている女――。つらいことはつらいのだが、それをポンと突き放して見ている、冷静な女――。乾ききった虚無の中で、孤独な女は希望を見出すことができるのか――。

(5)タイトルを決めて短時間で一気に書き上げる。
14歳で男のところに転がり込んだ少女が、15歳で安い指輪を贈られて女になる。だが19を越えた夏の夜、細いナイフを光らせて男を刺す――。愛のために罪を犯した若い女の履歴書をもとにした年代記――。舞台はポルトガルか、その近くのヨーロッパあたりで遠くからファドのような音楽が聴こえてくる――。孤独に漂泊する女の胸の内から、ふっと自然に出てきた言葉がタイトルにふさわしい。「ざんげの値打ちもないけれど、私は話してみたかった……」

このようにして書き上げた歌詞はかなり大胆で、センセーショナルな印象を与えるものになりました。当然のようにスタッフの中からは「主人公の人生に救いがない」とか、「暗くて重すぎる」という意見も出てきたようです。しかし、阿久悠はそうした反応を承知の上で、暗くて重いけれども、「一点冷たい光を放つ詞」を仕上げたのです。確かに歌詞を読む限りにおいては、救いがない物語に見えるかもしれません。しかし、暗いだけには終わっていない、乾いた叙情を描いたのだということをわかってくれる人が、たとえ少数であってもいると思っていたはずです。

だからレコーディングされた音源を聴いた新聞記者が、「混迷の時代を描く新しい才能が出現した」と激賞していることを知って、わが意を得た思いになったに違いありません。その後も同じ記者の「若者たちの心の漂泊と孤独感に、早熟の時代までを描き当てて鮮やかだった」という、まるで作品の惹句のような論評を目にします。そのとき、自分が狙っている表現の方向性を、正しく理解してくれる人物がいると確信したことでしょう。

しかもその新聞記者、小西良太郎は文芸時評のような作品論を、複数の雑誌でも展開したのです。そのおかげもあって口コミで広まった歌の評判が、レコードの売り上げにもつながっていきました。そして売れ行きがじわじわと伸びてきたところで、ジャケットが上村一夫の描くイラストに差し替えられると、有線放送でも火がついて本格的なヒットになったのです。

洋楽のヒット曲を聴いて培った素養

阿久悠は歌詞を書いた時に自分が思い描いていた風景と、北原ミレイのレコードを聴いた人たちが思い描いた風景がかけ離れていたことについて、和田誠との対談でこう語っています。

A 面白いのは、あの歌を聴いてショックを受けたか、絵を送ってくれた人がいて、その人の絵を見ると、今度は、四畳半に店屋ものの丼が積み上げてあってね、こう裸電球が下がってて、国電が通っててっていうね、まあ、この暗さってないよ(笑)。要するに、最初思い描いた風景と、最終的に人が聴いて思い描いた風景とね、もう極端に違ってんだけど。

(阿久悠、和田誠『A面B面 作詞・レコード・日本人』文藝春秋)

それに対して和田誠は、こんな言葉を返しています。

 やっぱりメロディの影響があるんでしょうね。詞だけ読むと日本的な風景は浮かびませんよ。

(同前)

阿久悠は「日本的な風景は浮かびませんよ」という言葉に反応して、自分がイメージしていた映像のことを打ち明けています。それは「ざんげの値打ちもない」を聴いた和田誠が、「シャンソンだろうと思った」という言葉につながるものです。

A それは初めて言われた。ほんとホッとしたって感じなの。ぼく、ずーっとそう思ってたのにね。たとえば、同じ道でも石畳だったりね、ミサ帰りのなんか黒いおばあさん、こんなの被ってるのが通り過ぎたりっていう絵を思い浮かべてくれる人がね、今まで一人もいなかったんで、ショックだったんですよ。

(同前)

阿久悠は自作を語った決定版ともいうべき著書の『愛すべき名歌たち―私的歌謡曲史―』でも、絵が送られて来た時の違和感について記していました。そこには「風景としてはポルトガルあたり」であり、「頭の中で鳴っているメロディーもファドであった」と述べられています。

数人のイラストレーターが描いてくれたが、共通しているのは、三畳のアパートと、天井からぶら下がった裸電球と、土間に積み重ねられたラーメンのどんぶりであった。
 なるほどと思ったが、これは詞を書く以前にぼくが思い描いた映像的イメージとは、大きく違っていた。ぼくは、教会へつづく石畳の坂道でよろめいている黒いベールの女の姿で、風景としてはポルトガルあたりが近く、従って、頭の中で鳴っているメロディーもファドであった。

(阿久悠『愛すべき名歌たち―私的歌謡曲史―』岩波新書)

そこでポルトガルが舞台となった映画の中に、ファドが流れていた作品があったのではないかと、該当しそうな作品を探すことにしました。ところが1950年代から60年代にかけては、日本で公開されたポルトガル映画が皆無だったのです。最も近い隣国のスペインの映画もフランコ政権による独裁政治の影響で、国外で公開された作品は子供をめぐる宗教劇の『汚れなき悪戯』(1955年)くらいしか見当たりませんでした。

そのためにフランスとイタリアの作品に目を向けることにしたのは、当時の両国が映画大国として、名作や佳作を世界に送り出していたからです。フランスのカンヌ映画祭とイタリアのベネツィア映画祭には、今でも世界中からトップクラスの作品が集まってきます。日本でも両国の作品は人気があり、男優や女優もハリウッドのスターに匹敵するか、時にはそれ以上に関心を集めていました。

明治大学在学中に通っていた名画座を舞台にした小説『銀幕座 二階最前列』に書かれた内容から推測するところ、阿久悠がその頃に観た洋画の過半数はフランス映画だったようです。小説の主人公が学生時代を振り返って、映画館がもうひとつの学校であったことを語る場面があります。

ぼくが籍を置いていた大学は、お茶ノ水駅から駿河台下に下る坂の途中にあったが、その坂を下りきって書店がずらりと並ぶ、にも学生街らしい一画に銀幕座はあった。
 小さい映画館なのに、なぜか二階席があって、その二階の最前列というのがぼくの指定席で、およそ四年間は、その場所に座りつづけた。週単位でプログラムが変わるから、およそ二百日はそこにいたことになる。これは、大学へ通った日数とどちらが多いかわからない。
 さて、その日も、ぼくは銀幕座へ行った。
 一年半ぐらい前の映画だが、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督の『悪魔のような女』と、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『殺意の瞬間』という、フランスの巨匠が撮ったサスペンス映画の組み合わせに魅力があった。
 出来れば二本とも、暗闇の中でノートにペンを走らせて、シナリオを再現したいものだと思っていた。シナリオに興味があって、将来可能ならば、シナリオライターになりたいとも思っていたぼくは、一つの勉強の方法として、上映される映画からシナリオを再現するということをやっていた。
 そういう映画は、とても一回では正確に書き取れないので、数日通いづめということになる。『悪魔のような女』と『殺意の瞬間』も、そういうことになるかもしれなかった。

(阿久悠『銀幕座 二階最前列』講談社)

数日通いづめで同じ作品を観ていたというからには、もし映画の中にファドが流れていたら、それを覚えてしまうくらいに聴いたことでしょう。そして、音楽を楽しむためにかけていたラジオで、先に聴いていたという可能性も考えられます。阿久悠は淡路島で上映される機会が少なかった洋画を、上京してから名画座で熱心にチェックして観ていました。したがって日本で初公開されてから1~2年が経過した後になって、ようやく観ることが出来たという作品がたくさんあったのです。

当時は映画のテーマ音楽や主題歌のヒット曲が多く出ていて、洋楽のレコードに関して言えば半分くらいは映画に関連していたと言ってもいいほどです。阿久悠がノートにランキングを記録するほど愛聴していた文化放送の『ユア・ヒットパレード』では、しばしばベストテンの半分を映画に関係する曲が占めていました。たとえば1957(昭和32)年7月第1週のランキングは、このようになっていました。

1位  「ジェルソミーナ」(イタリア映画『道』のテーマ)2位  「エデンの東」(アメリカ映画『エデンの東』のテーマ)3位  「アイル・ビー・ホーム」(パット・ブーン)4位  「霧のロンドン・ブリッジ」(ジョー・スタッフォード)5位  「アナスタシア」(アメリカ映画『追想』のテーマ)6位  「オール・シュック・アップ」(エルヴィス・プレスリー)7位  「島の女」(アメリカ映画『島の女』主題歌 ソフィア・ローレン)8位  「バナナ・ボート」(ハリー・ベラフォンテ)9位  「ツー・マッチ」(エルヴィス・プレスリー)10位  「OK牧場の決斗」(アメリカ映画『OK牧場の決斗』のテーマ)

洋楽のランキング番組として草分けだった『ユア・ヒットパレード』は、1955年10月1日に放送が始まって2週目に最初のランキングが発表されました。そこで1位になったのが日本に最初に上陸したロックンロール・ナンバー、ビル・ヘイリーと彼のコメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」です。阿久悠の心を強く叩いたというこの曲も、映画『暴力教室』のテーマ・ソングでした。

■ビル・ヘイリーと彼のコメッツ「ロック・アラウンド・ザ・クロック」

その頃は言語や国籍に関わりなく、あらゆる種類の海外の音楽がジャンルの枠を超えて、ラジオの音楽番組から頻繁に流れていました。そして歌ものやコーラスものに混じって、インストゥルメンタルが人気を競い合っていたのです。中でも安定した人気を保っていたのが、ヨーロッパ映画の音楽をレコード化した楽曲でした。そうした多彩な洋楽のヒット曲を聴いていたことが、作詞家となる阿久悠の音楽的教養になっていったと考えられます。次の文章を読むとそのことがよくわかります。

毎日曜日午後九時三十分から十時までの、文化放送の「ユア・ヒットパレード」が、時間の都合もよく、熱心に聴いていた。その頃から、いくらか、チャートなどに興味があったのか、ベストテンの楽曲をノートに記録などしていた。ヒマつぶしである。何かの役に立てようというつもりはない。買わない競馬の予想のようなもので、ランクの上下に、当り、外れと一喜一憂していただけである。しかし、それがまるっきり無意味であったかというと、その後作詞家になってみると、そうでもなかったような気がしている。むしろ、役に立ったと云っていい。

(阿久悠『昭和おもちゃ箱』産経新聞社)

学生時代に曲のより好みをせず、さまざまな音楽を映画とラジオで聴いていたことが、作詞家になってからの引き出しの多さにつながっていたのです。そして曲名や歌手名、映画の名前をノートに書いて記録することによって、ヒットチャートの中での動きを予想し、人気の傾向をつかむというマーケティングの手法にも目が向いています。それがジャンルを問わずに超人的な量の作品を書くことに、大いにプラスになっていたと言えるでしょう。

アマリア・ロドリゲスも出演した映画『過去をもつ愛情』

阿久悠は「ざんげの値打ちもない」の作詞を依頼された時、“アマリア・ロドリゲスの「暗いはしけ」には影響を受けた”と、J&Kの寺本に話しています。では、ファドの女王といわれていたアマリア・ロドリゲスと最初に出会ったのは、いつ、どこでだったのでしょうか。

考えられるのは彼女の歌った「暗いはしけ」が映画の中で使われたか、彼女が映画に出演してそれを歌ったか、あるいはラジオの『ユア・ヒットパレード』でよく耳にしたか、といったところです。そこで日本における「暗いはしけ」について国会図書館サーチで調べてみたところ、1950年には楽譜が出版されていたことが判明しました。そしてフランス映画『過去をもつ愛情』に使われていたことが、タイトルに付記されていたのです(国立国会図書館サーチ)

1954年に公開されたフランス映画『過去をもつ愛情』は、名作『ヘッドライト』や『地下室のメロディー』で有名なアンリ・ヴェルヌイユ監督による、サスペンス色のあるメロドラマです。ポルトガルのリスボンを舞台にしたこの悲恋物語の主人公は、いずれもフランス人の、不貞をはたらいた妻を射殺した夫と、資産家である英国貴族の夫を殺した疑いのある若い女という設定でした。

戦争のヒーローだったがゆえに殺人を犯したのに無罪になった夫の苦悩、謎が多くて背徳の匂いを感じさせる女、そこに関わってくる刑事との心理的なせめぎあいが、緻密な構成のシナリオとアイデアに満ちたカメラワークで、テンポよく進んでいきます。ファドをうまく使ったオーケストレーションによる音楽は、後に世界的な巨匠になるミシェル・ルグランが手がけていました。

そしてファドということでは、世界中に知られたアマリア・ロドリゲスがファドハウスとも呼ばれる小さな酒場で、「暗いはしけ」を歌うシーンがこの映画の重要な見所の一つとなっていたのです。なぜならばその歌詞は、二人の未来すなわち恋が叶わないという、悲劇的な結末を暗示していたからです。阿久悠はおそらく、この映画を観て気に入って名画座に通い、シナリオを書き起こしたに違いありません。

映画の中でポルトガル語がわからない女のために、男が歌詞の意味を伝えるシーンが出てきます。阿久悠はそれを字幕から書き写すことで、「暗いはしけ」に込められている深い意味を理解したのではないでしょうか。ここで歌の持つ表現力に気付いたからこそ、それがずっと印象に残っていて、北原ミレイの作詞を依頼された時にJ&Kの寺本に、“アマリア・ロドリゲス「暗いはしけ」には影響された”と語ったのではないかと考えられるのです。

「暗いはしけ」の原題は「Barco Negro」、黒い小舟という意味です。夜の暗い波間に出て行った舟とともに消えて、二度と戻って来ることのなかった愛する男の面影を追い求める、女の深い哀しみが歌われています。


「暗いはしけ」
作詞 David de Jesus Mourão-Ferreira/作曲 Caco Velho, Piratini
朝 私は浜辺に倒れていて
目が覚めた
あなたにみにくい顔と
思われるのがこわかった
あなたは優しく私を見つめていた
それで私の心にも陽光がさした

それから私の見たものは
とある岩の上の十字架
あなたの黒い舟は波間の
光の中で踊っていた…
浜の老婆たちは あなたが
もう帰ってこないという

みんな あなたはいつも私と
一緒にいると言ってくれる
風の中 水の中 ともしびの中に
寝台のぬくもりに 空いた腰掛けに
私のこの胸の中にいつも
あなたは私と一緒にいる


この曲はそもそも、奴隷制の時代を題材にしてブラジルで生まれた「黒い母」が原曲になっているとのことです。それを映画のために詩人のダヴィー・モーラン・フェレイラが新たに作詞し、アマリア・ロドリゲスが歌って世界的なヒットとなりました。阿久悠が「ざんげの値打ちもない」を書いている時に、「暗いはしけ」のようなファドをイメージしていたのは、映画との関連からしてほぼ間違いないと思われます。

『過去をもつ愛情』に主演したフランソワーズ・アルヌールは翌年に、同じアンリ・ヴェルヌイユ監督の『ヘッドライト』ではジャン・ギャバンと共演し、美しいけれども影がある食堂の女を演じて高い評価を得ました。そして寡黙なジャン・ギャバンからにじみ出る男の哀愁とともに、『ヘッドライト』は名作として語られるようになり、フランソワーズ・アルヌールも映画史に残る女優になったのです。

阿久悠は『ヘッドライト』を観て、映画とテーマ音楽について、このような感想を記しています。

 シャンソンの「枯葉」の作曲者でもあるジョセフ・コスマのテーマ音楽が、これ以上はない哀しさを漂わせて流れていた。美しいメロディでありながら、細い細い絹糸で心の表面を傷つけていくようなもの哀しさが、満ちている。一瞬の裏切りは、次なる歓喜への転化を促すものがあるのが普通だが、このように風のように流れつづける哀調は、哀しみの永久運動のような気がする。
 何もこの恵まれない食堂の女を死なせてしまうこともないのに、初老の長距離トラックの運転手との、ささやかな恋ぐらい実らせてやればいいのにと思っていたが、やはり、ジョセフ・コスマの不幸なメロディに誘われるように女は死に、ジャン・ギャバンの運転手は、絶望のまま日常を繰り返すと言う重い結末になる。

(阿久悠『銀幕座 二階最前列』講談社)

ちなみにこの自伝的な小説の単行本の表紙に使われた、写真をもとにして作られたイラストは、『ヘッドライト』のフランソワーズ・アルヌールでした。

ざんげ室が出てくる名画を探して

こうして阿久悠の作品を成り立たせていた映画をたどっていくと、和田誠が「ざんげの値打ちもない」を聴いてフランスのシャンソンを思い浮かべたと話したのは、まさに慧眼とも言える、核心をついた言葉だったことがわかってきたのです。

ところで筆者もまた当時から何の疑いもなく、イタリア映画などで目にしてきた映像を、「ざんげの値打ちもない」の世界と結び付けていました。たとえ過酷な状況に置かれても、哀しみや憎しみを乗り越えて強い気持ちで生きていく、おぼろげながらもそんな逞しい女性の姿をイメージしていたのです。

それがどうして日本の風景ではなかったのかと言えば、村井邦彦によるドラマティックなメロディーと、それを際立たせていた馬飼野俊一のアレンジ、そして北原ミレイの力強くもさっぱりしたヴォーカルのためでした。「ざんげの値打ちもない」はロックのセンスを感じさせる16ビートのサウンドで、当時の演歌的な日本調のそれとは似ても似つかないほど斬新だったのです。ただ自分でも少し不思議に思うのは、アメリカのロサンゼルスで1960年代の後半にヒット曲を量産したミュージシャンたちから成るチーム、レッキング・クルーのようなロック・サウンドだったにもかかわらず、映像のイメージはイタリアあたりだったということです。

初めて「ざんげの値打ちもない」を聴いたのは筆者が18歳の時でしたが、ポルトガルのファドについてはまだ何の知識も持っていませんでした。アマリア・ロドリゲスの評判を耳にしてLPレコードを購入したのは、その2年か3年後になってからのことです。しかしその時も、期待していたほど心が惹かれることはなかったのを憶えています。これは世代的なことになってきますが、アンリ・ヴェルヌイユ監督の作品は『過去をもつ愛情』も『ヘッドライト』も、筆者は観たことがなかったのです。フランス映画に関しては1950年代末に始まった、ヌーベルヴァーグ以降の作品しか知りませんでした。

それにもかかわらず、阿久悠の書いた文章を読んでいると、自分がイメージしていた映像と、どこかで重なっているように思えたのです。何の映画だったのかは忘れてしまいましたが、教会の中にある暗い部屋で、若い女がざんげするというシーンを、確かに観たという記憶が残っていたからです。だからフェデリコ・フェリーニ監督や、ビットリオ・デ・シーカ監督などのイタリア映画をイメージしたのでしょう。

阿久悠が観ていたイタリア映画の中に、“教会へつづく石畳の坂道”や“黒いベールの女の姿”が映し出されている作品はなかったか……。それを筆者も観ていて、その作品の中でファドか、あるいはファドを想起させるような音楽が流れていたのではないか。そう考えて1950年代から60年代に公開されたイタリア映画のリストをチェックし、可能性がありそうな作品に的を絞って、当時の映画雑誌や文献に照らし合わせていくことにしました。

タイトルにある「ざんげ」という言葉と、殺人が主題であることもあって、最初に調べたのはフランス人作家のアルベール・カミュの小説『異邦人』です。1967年にイタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督が映画化した『異邦人』には、拘置所の鉄格子のシーンがあったことを憶えていました。しかし「ざんげの値打ちもない」との関係を、はっきり見出すことはできませんでした。

若い女がざんげをするシーンという、ぼんやりとした記憶を手がかりにして、次に狙いをつけたのは1967年の製作で3部構成から成るオムニバス形式のホラー映画『世にも怪奇な物語』です。エドガー・アラン・ポーの小説を原作とするこの作品は、フランスとイタリアの合作映画でしたが、いかにも「ざんげ」と「殺人」のシーンが出てくる雰囲気でした。しかしここでも当てはまるシーンは、最後まで見出せずに終わります。

そこでふと思い出したのが、『ニュー・シネマ・パラダイス』(ジョゼッペ・トルナトーレ監督)のパンフレットです。神田の神保町の古書店で昨年の夏に、その映画のパンフレットを購入したのは、阿久悠が解説を書いていたからでした。いつか役に立つかもしれないと思って持っていたパンフレットを開いて、もしかするとと期待しながら「『ニュー・シネマ・パラダイス』に寄せて――瀬戸内映画熱中団」という、阿久悠の文章を再読してみました。

「ニュー・シネマ・パラダイス」を見て、なんと共通した体験が多く、似たようなエピソードが多いかと驚かされるのである。あのシチリアの小さな村の、パラダイス映画劇場の客の中に、ぼくが混じっていても、いささかの不思議もないのである。
 そういった意味で、最近これほど映画と同化した作品、また、それだけでなく、浄化作用のある涙を流した作品もなく、映画に要求される全てを満たしていると云える。
 云いかえれば、こんな口惜しい映画もない。僕がやる筈だったと云いたくなる。

「口惜しい映画」という表現は、いかにも阿久悠らしい褒め言葉です。この文章を読んだ後で、どこかにヒントはないものかと他の批評や対談、シナリオに目を通していった時のことです。映画から再録したシナリオの後半に、ざんげ室のシーンが出てきました。

●教会・昼
アルフレードと司祭が話している間、トトはざんげ室に入る。ざんげ室の外にはエレナがひざまずいている。

エレナ「私は罪を……」トト 「それは後で。サルヴァトーレだよ……」

トトは、エレナに愛を告白する。

エレナ「サルヴァトーレ、あなたはいい人だわ。でも愛していないの」トト 「構わない。君が愛してくれるのを待つよ。毎晩、仕事の後、君の家の下で待つ。気持ちが変わったら窓を開けてくれ」

しかし、筆者はこの時の映像を、すぐには思い出すことができなかったのです。そして解説を読んでみて、確かに主人公のトトが愛を告白するこのシーンが喜劇的で、面白いシチュエーションだとは思った記憶がよみがえりました。しかし映像として憶えてはいなかったので、スチール写真を見てようやく画面を思い出したくらいです。

とはいえ『ニュー・シネマ・パラダイス』は1989年に製作された作品で、阿久悠が「ざんげの値打ちもない」の歌詞を書いた時には、まだこの世に存在していません。ただ、阿久悠と筆者がともに観ていた映画があったことは、収穫といえば収穫だったので、なんとかして答えとなる作品を見つけ出したいと思い直しました。

次号掲載:2月9日(金)朝6時

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