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サービス開始日が決まり次第あらためてお知らせいたしますので、今しばらくお待ちいただければ幸いです。

2018年11月15日
Romancer Cafe編集部

 沢田研二「時の過ぎゆくままに」、石川さゆり「津軽海峡・冬景色」、ピンクレディー「UFO」ほか、数々のヒット曲を世に送り出した天才作詞家・阿久悠。彼が、日本の歌謡曲における黄金期を支えたことは間違いありません。しかし、それにとどまらず彼こそが、ビートの時代が到来した1960年代後半から、井上陽水、忌野清志郎、松任谷由実、桑田佳祐らへと受け継がれた、“新しい歌づくり”を実現させる魂の原点であったことを見過ごしてはならないのです。
 そう語る気鋭の歌謡曲研究家・作家、佐藤剛が、高い評価を得た著書『上を向いて歩こう』や『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』などに続いて取り上げるテーマは『阿久悠と歌謡曲の時代』。それは「ない」からはじまった――。

音楽プロデューサーとして甲斐バンド、THE BOOMなどを手がけ、作家として『上を向いて歩こう』(岩波書店)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)などを上梓している。
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特別対談 2018年7月25日掲載

佐藤剛×ギャランティーク和恵「生々しさこそが歌謡曲の魅力」後編

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6月某日、『阿久悠と歌謡曲の時代』連載中の佐藤剛さんと、ソロ・シンガーとして、また、ミッツ・マングローブさん、メイリー・ムーさんとのユニット「星屑スキャット」で活動中のギャランティーク和恵さんが対談を行いました。
『上を向いて歩こう』『黄昏のビギンの物語』『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」』などの著作、そして『阿久悠と歌謡曲の時代』の執筆やWEBサイト「TAP the POP」の連載などを通して、歌謡曲の生命力とその背景にある人間ドラマを広く伝えている佐藤さんと、ライブはもちろんのこと、CDや配信による楽曲のリリース、コラムなどの執筆(GetNavi webで「レコードショップ ギャラン堂」を連載中)と、歌謡曲を中心に多岐にわたる活動を展開中の和恵さんに語り合ってもらったのは、「いったい歌謡曲の何が面白いのか?」という実に本質的なテーマ。さて、二人の話から見えてくるもの聴こえてくるもの、そしてわかってくることは何でしょう?

声を発する人間の覚悟

和恵今は音楽でも何でも消費の回転が速くて、結果が出るまでなかなか待てない時代だけど、私は私のやり方で頑張ってみたいですね。

佐藤「新宿シャンソン」なんて、まさにそういう曲でしょう。

和恵そうですね。世に出るまでにも時間がかかったし、たくさんの人に聴いてもらえるようになるために、いろいろな人が力を貸してくださってるので、私たちが大事に育てていくべき歌なんだろうなと思っています。

佐藤例えば昭和の時代に比べて、今のほうが思いがけず情報が広がっていく確率は高いわけだし、誰がその歌や歌手のことをつぶやいたことで、拡散のきっかけになるかもしれない。そう考えてみると、大事に育てるというようなつもりで、歌い続けていくことが必要なんだと思いますね。

和恵確かにそうですね。歌さえも使い捨てにされる時代だから、なおさら、そういうことが大事ですよね。

佐藤そうなってしまっている背景には、作品自体の力が落ちてしまっているということがあると思うんです。今の歌って、純粋な録音、記録としてのレコードではない。言ってみればどれも、編集されたものじゃないですか。加工すればするほど、本来の姿からは離れていくわけで、そのほうが耳当たりがいいとか、流行りやすいなんていう利点があったとしても、明らかに最初の、ナマの歌が持っているものは削られてしまっている。パソコンで画像のコピー&ペーストを繰り返すと、どんどん劣化していってしまうのと似たようなことがあるんじゃないかと思うんです。

和恵あの、歌うとか自分の声を他人に聴かせる行為、それも大きな音で聴かせるなんていうことは、実はとっても恥ずかしいことでもあると思うんです。だって、そこにはいろいろなものが含まれていると思うから。でも、それが編集とか修正とかしてもらえる時代になって、声を発する人間の覚悟みたいなものも、弱くなってるのかもしれないって思います。隠さずに全部出しちゃうのと、きれいなところだけ届けるのでは、受ける側の気持ちよさの違いもあるけど、それ以上にいいか悪いかを別にした時のインパクトの違いってありますよね。

正確でミスのないことがベストではない

佐藤今ぼくが注目しているのは、7月にテレビで始まる『高嶺の花』っていう野島伸司さん脚本のドラマです。主題歌がエルヴィス・プレスリーの「ラヴ・ミー・テンダー」だというんです。プレスリーという人の作品は、レコーディング現場のナマの感覚を大事にして制作されているので、そうやって作られたものがこの時代にどんな風に響くかっていうところが、ぼくはとても気になっているんです。

■Elvis Presley「Love Me Tender」

和恵うわぁ、それは私も気になりますね。今って、作る側も編集・加工が当たり前になってしまっているのと同時に、聴く側が生々しさとか、ウェットな感じとかの人間っぽさを拒むところがあるじゃないですか、それが編集・加工を加速させてるのかも。でも、一方で人間的なところを求めている事実もあって、それがライブの動員につながったり、歌謡曲の再評価に結び付いてるような気がするんです。

佐藤そういうニーズは確実に増えてますよね。ここまでツルツルでカサカサなものばかりになってきたら、ウェットなものを求める人がいるのは当然だし、もっと暗い歌だって必要とされてるはずなんです。だから、ぼくはそろそろ歌謡曲からヒットやスターが生まれるだろうって信じているんです。実際に最近プロデュースを手伝った若い人の作品でも、これはきっと今の時代の人たちの心にも、真っ直ぐに届くだろうなって思えるものが出来て、この先のリリースを楽しみにしています。

和恵それは期待できますね。佐藤さんみたいな方が、そうおっしゃるんだから。ホント、歌だって楽器演奏だって、よりよいものを目指すけど、人間だから常に完璧は無理っていう、開き直るわけではないんですけど、そういう緊張の中で表現されるところに、それぞれの魅力や味わいというものがあるんですよね。さっき、覚悟って言いましたけど、私だって、上手くいかなかったら凹むし、失敗したら恥ずかしいけど、それでも伝えたい、歌いたいと思って、マイクの前に立つわけじゃないですか。その恥ずかしさとか情けなさみたいなものを、予め全部消してしまえるってわかっていたら、そこまで一生懸命になれるかって言ったら、ちょっと違うと思うんです。

佐藤でも、今どきのレコーディングでは少しでもアラが見えたら、プロ・ツールスで片っ端から修正していきますからね。ぼくは、さっき話した若い人たちの作品に関して、それをとにかく避けたんです。そのお蔭でいいものが出来たと自負しているし、それは自分だけの感覚じゃないはずなんです。過去のレコーディングを振り返っても、正確でミスのないことがベストではないってわかってるし、そういう考えで作品をつくって評価を受けてきましたから。

人間が自分自身を磨いていくしかない

和恵星屑スキャットの「コスメティック・サイレン」っていう曲のレコーディングの時、ミッツさんの発音が明らかに変だなっていう箇所があって、きっと本人もNGなんだろうと思ってそれを指摘したら、ミッツさんが「あ、じゃ、それOK。そのほうがきっと耳に残るから」って敢えてそっちを選んじゃったんです。でもそっちのほうが聴く側にとってフックになってクセになったりするっていう、そういう面白さに気付けたような気がしたんです。

■星屑スキャット「コスメティック・サイレン」

佐藤それこそが生々しさだし、歌謡曲らしさでしょう。生々しさの有無こそが、歌謡曲とJ-POPを分けているものなのかもしれません。

和恵例えば80年代のアイドルの歌なんて、下手なコは下手なんだけど、それでも一人でお客さんの前で歌うという覚悟が感じられて、そこに魅力を覚えるんですよね。

佐藤下手でも一生懸命だっていう姿に、人は感動するものじゃないですか。最近出た萩田光雄さんの『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』っていう本を読んだら、「風の谷のナウシカ」について書かれていて、安田成美さんの歌は決して上手くはないけれど「好きだ」と明言なさっている。そして、今のいかにも上手そうに歌っている歌手に比べても、はるかに素晴らしいというようなことを言ってました。まさにぼくが思っているのと同じ感覚で、やっぱり素晴らしいことをおっしゃるなぁと思ったんですけど、つまり、歌の魅力というのは、そういうこと、その人の持つものが全部出ている中には、確かに欠点あるんだけど、そこには素直さとかキュートさも含まれていて、それらの全体が人の心を打つんですよね。さらに言えば、どこを上手いとか下手と感じるかは、聴く人によって違うわけだから、それをレコーディングの段階で勝手にひとつの価値基準で直すことは、決していいこととは限らないんです。

和恵そうですよね。人間が歌ってるものを、機械の基準に無理やり合わせることが本当にいいことなのかどうか、とか。数値って目安ではあるけど、正解とは限らないですもんね。

佐藤音楽とか絵画とか、芸術なんて曖昧な要素がたくさんある中で、だからこそ成立するということもあるわけで、そうだとすると、人間は人がうたう歌を愛してきたのに、いつの間にか機械で作られた歌のほうを、ありがたがるようになってしまっていたのかもしれない。

和恵私は、やっぱり、もっと人間味があるもの、歌謡曲らしい歌のほうが好きですね。そのためにも自分はこれからも覚悟を持って歌っていこうと思いますけど。そして、私も含めて作る側、送り出す側の人間が、ただ機械に頼るのではなくて、自分の感覚でより良いものを作れるように、過去の多くの作品に触れたり、人に学ばせてもらったりすることを通して勉強していかなければいけないんですよね。

佐藤結局のところ、歌はいつの時代にも歌い手とともにあって、昔も今も変わらないし、この先も変わらずにあるわけです。だから、それをどう受け止めるか、どうすればより良く受け入れることができるかと考えたら、歌う側、聴く側である人間が自分自身を磨いていくしかないんですよ。

和恵それって、つまり、そのまま生き方そのものに繋がる人の問題だろうし、だからこそ、生々しさがあり、覚悟が要るってことになるんでしょうね。お話ししていたら、何となく思ってたことがよりハッキリしてきました。

佐藤ぼくもです。「阿久悠と歌謡曲の時代」を書いて、阿久悠という人が実に生々しく、作家として誠実に生きた人だということがよくわかった気がしているんですが、それは作家とか歌い手である前に、人として大事なことです。実はそれが共感されたからこそ、阿久さんの歌はこんなにも多くの人たちに、愛されてきたんだと思います。

和恵私も生々しく生きていきます(笑)。今日はありがとうございました。

佐藤また会って生々しい話をしましょう(笑)。ありがとうございました。


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